スカイ君がわが家にやってきて
どのくらい時が過ぎたでしょうか?
去年一昨年の9月のように記憶しています。
とてもイタズラが大好きです。
油断していると
メガネやボールペンをかじったりしています。


スカイ君がわが家にやってきて
どのくらい時が過ぎたでしょうか?
去年一昨年の9月のように記憶しています。
とてもイタズラが大好きです。
油断していると
メガネやボールペンをかじったりしています。
国際ソロプチミスト諌早を代表して、数名の会員たちと
14日(金)は、椿原中学校・聖母の騎士小学校の
最後の卒業式へ行ってきました。
卒業生は中学生10名、小学生4名の計14名。
運動会やクリスマス会などで、顔見知りになった生徒さんたちが檀上で、
背筋だけでなく5本指の先までピーンと伸ばし、堂々と「自分の夢」を発表する姿に感動しました。
最後の卒業式ということもあって、先生方、園の方々、そして来賓の方たちも
涙をぬぐわれていました。
すばらしい卒業式でした。
そして今日、15日(土)は、長崎ウエスレヤン大学の卒業証書・学位記授与式に行きました。
毎年のように、みのる塾生の卒塾生がいるので楽しみにして参加していますが、
今年はT君がいました。誰よりT君の卒業を喜んでいらっしゃるお母様も遠くにお見かけしました。
私は次のお祝い会場に行かなければならなかったので、T君にもお母さまにも
「おめでとう!」を直接お会いして言うことができませんでした。
それがちょっと心残りです。ごめんなさい!
一人ひとりに、「よかったね!おめでとう!」と声をかけていらっしゃる学長先生、また、「遠い将来、地球が一つの国になってほしい。その手伝いをあなた方がやってほしい。」という内容だったと思うのですが、校友会会長のお言葉。
黒いガウンをはおり、世界のあちこちから来ている留学生の方々にも心は通じていたように感じて、ここでも感動でした!
さて、来週はみのる塾の塾長として、地元の喜々津中学校と喜々津小学校の卒業式に参加させていただく予定です。
いろいろ違って、どれも素晴らしい卒業式になることと思います。
感動すると、心が洗われてすっきりします。
卒業生の皆さん、感動をありがとう!
昨日は、前々から気になっていた
牛島君に会うために「飯屋JB」に行きました。
聞くところによると
卒業した後調理師の免許を取って
いろいろな店を経験した後、
最近私が時々利用するようになった居酒屋「千客万来」の同じ場所で
以前はバーを経営していたそうです。
同じく長崎日大を卒業した佐藤設計の下のテナントに入らないかと誘われて
今の場所で「飯屋JB」という屋号でレストランを
始めたそうです!
彼と初めて会ったのは
高校入学直後だったと思います。
彼らが高校1年生の時は
私も同期生の担任を受け持っていました。
その後、彼らが2年生になると同時に
教育センター明倫館の寮監になりましたが
彼は佐世保出身だったので
またまた寮生としてお世話することになりました。
兎に角、学校、空手部、寮生活の繰り返しですから
自然と様々な接点があって
単なる高校生とは違った関係が
生まれていきますので
お互いに印象深い記憶が刻まれていきます。
31年振りとは思えないほど
色んな記憶が鮮明に甦ってくるから不思議です!
でも、何時もの通り
確実に翌日のトレーニング時間を確保するために
午後9時過ぎには代行運転を呼び寄せて
午後10時前には自宅には着いていました。
次回は、ロータリークラブの有志たちと
一緒に利用してみたいと思います。
佐世保島原105kmで開催される
「ウルトラウォークラリー」で知り合った
鹿児島の中村正文さんが
再び長崎にやってこられます。
2月22日(土)に佐世保で初めて
2人で県内では最も古い老舗の焼き鳥屋「雀の巣」で
飲み合って以来の来訪です。
今回は、お嬢様の卒業式が長崎であり、
お母様が式典に出られている間に
「私とウルトラに向けて練習を一緒にさせてほしい」という
リクエストを頂いたのでした。
私のように「アスリートでも何でもない者」に
そのようなご要望があるとは思いもしませんでしたが
私程度の「歩き」でも良ければと思い、
来週の水曜日に一緒に練習をすることにしています。
コースは、先日ご披露させて頂いた
藤棚から長崎街道に入り、井桶之尾観音先から
長崎自動車道と併行して走る市道を久山まで通って
久山飯盛線の県道を突っ切って
青葉台団地とファイパーク真津山の間を抜け、
久山橋バス停から喜々津シーサイドへ抜ける裏道を通って
シーサイドを一周して「みのる塾」に戻るルートに
しました。
結構アップダウンはありますが、
景色が良くて練習を兼ねて
リズミカルに歩くにはもってこいのコースと考え、
ご案内することにしています。
天気がよいと嬉しいのですが、
三寒四温のこの時期どうなるでしょうか?
武雄の宮原公さんもそうでしたが、
鹿児島の中村さんもそのうち私を追い越す存在になられるでしょう!
「出藍之誉」と言いますので、これからが大いに楽しみです!
この看板の「こどもたち」の部分を
「子どもたち」と変えますが、基本的には同じです。
現在は、15年間の進学実績を掲示している場所に
新に付け替えることで
準備を急いでもらっています。
因みに、制作者は
私が長崎日本大学高等学校に勤務させてもらった時、
一番最初に副担任兼国語担当教員をさせてもらった産業デザイン科にいた
中村年克君で、現在「ナカムラ広芸社」の代表取締役です。
センスが全然違うと思います。
開塾以来ずっとお世話になっています。
もう直ぐ日本では一番になって
「世界」へ羽ばたく人財が出そうなのでこういうキャッチフレーズを考えました!
私たちの「みのる塾」は、資本が小さいので
大手や県内有力塾のように進学実績も
大したことはありませんが
「山椒は小粒でもピリリと辛い」と言うように
一隅を照らすことのできる希少価値を秘めた塾です。
私たちの「子ども」を超えてくれる人財が
早く出てくれることを念願して命名しました!
どうか才能が隠れたお子様たちを
お預けくださるよう念願して止みません!