2014年4月3日 代表
私は、何時頃から学び始めたでしょうか?
父親はスパルタ教育者でした。
それは、多分に母親を意識しての行動ではなかったかと思います。
母は、現在の佐世保北高(昔は佐世保聖徳女学校と言っていました)を
主席で卒業した人ですが、
父は田平北小学校の出身で村田簿記を経て陸軍へと進み、
最後は主計大尉で終戦を迎えました。
そして、戦後は田平の農協から
梶川町長に見込まれて田平町役場の収入役に転身し
助役も歴任しました。
その頃は身体が弱かった私を鍛えるために
小学3年生から朝6時から早起きをさせられて
国語・算数・英語の学習が始まりました。
大学生になってから父から聞いた話では、
戦後引き上げて来て農協を辞職するときの選択肢は
2つあったと聞いたのです。
1つは、前に述べた町役場に入る話、
もう1つは、長崎市に出て県庁の経理に入る話が
あったようです。
それから、自分が子育てをするようになって
長女が長崎純心学園に中高一貫で入っていたこともあり、
長男が青雲学園行きたいと言った時点で私は長崎市に居を構えることにしました。
それは、私の父と同じで終わりたくないと
思ったからです。
この続きは、時間が押しているので後日書きます。