3月1日は、毎年長崎日本大学高等学校の「卒業証書授与式」の日です。
私は、昭和53年4月に長崎日大に就職しましたので、
第10回生の伴耕一朗君たちから知っています。
そして、平成14年3月に54歳で
早期退職するまで25年間の歳月、毎年卒業生を
送り出してきました。
私は、長崎日大の教員としては
かなり特殊な道をたどってきましたので
学級担任として「卒業生」を送り出したのは
少ない方だろうと思います。
しかし、赴任した当初から向学寮や至誠寮の寮監を皮切りに
教育センター明倫館の寮監長や寮監を7年勤めたり、
学校に戻ると高校生の担任をしていたかと思うと
平成2年には長崎日大中立ち上げのための準備委員になり、
翌年から6年間は2度に及ぶ中学生指導を経て
再度高校の担任に戻るなどめまぐるしい教員生活を送りました。
そして、25年の歳月が過ぎると
燃え尽き症候群ではありませんでしたが、
学外で再度自分でできることにチャレンジしたくて
自分の我が儘を押し通す形で早期退職の道を選び、
今日に至っています。
私と同じ年代の方たちも相当数退職されましたが、
多良見で「みのる塾」を開業し、
長崎日大に塾生たちを送り出す立場だったが故に
毎年のように「卒業式」「入学式」には
来賓としてご招待を頂いております!
従いまして、今は元職員としてではなく、
外部の一教育補助機関の立場で長崎日大という学校教育機関の動向を
客観的に、冷静に観察できています。
しかし、一方他校と比較いたしますと
矢張り長年勤めさせて頂いていたという感謝の念は
今でも残っていますので
何かと肩入れしたくなるのも仕方のないことです。
特に、卒業生の諸君たちとは
ロータリーに入っていることもあって様々な場面で接触が多いと思います。
ここで、卒業生諸君のために
今の日大の校舎の写真などをご紹介しましょう。
ここが入って直ぐの場所で
創立者の永田菊四郎先生の銅像と鐘楼がある2号館(昔は北校舎)です。
これは、卒業式の始まる前の卒業生たちの緊張しまくりの表情です。
現在の長崎日大高校は、
「生徒が主役」を標榜していますので
生徒主体で司会進行からピアノ伴奏、斉唱、指揮棒などの役割があり、
卒業生が会場を出た後、
最後に来賓や保護者の前で紹介があります。
私たち来賓は式典終了後
再度理事長室で会食の粗肴(以前はお酒も出ていました)が供されますが、
早々に引き上げるのが最近の習わしになりました。
外に出ると今の長崎日大が少しずつではありますが、
職員が入れ替わっていくように
変わりつつあることが実感できます。
これは、先ほどまでいた理事長室。
そして、日大坂、あるいは「桜坂(これは私たちが中学生担当の時に命名しました)」
今、一番変わりつつあるのが、
特に20回生より古い卒業生には忘れられない
JRと田んぼしかなかった学校正面の風景が
がらっと変わりつつあります。
それは、学校の前に島原方面と横島、
そして多良見の埋め立て地へとつながる新しい道路が
建設中なので風景が一変しているところです。
最近長崎日大に訪れたことのない方は
私にとって懐かしいのは、
何と言っても3号館に至る渡り廊下、
そしてそれをビジュアル的に示しているイラストです。