私が一時期を除くと
ずっと運動を続けてきたのは
多分「劣等感」が根底にあると思っています。
前にも何度か書いてきたように
大病を患って入院していた小学1年生3ヶ月が
ありました。
その影響で小学3年生まで
「体育」その他体を動かすこと自体を
医者に止められていました。
それしか原因は考えられませんが
小学4年生になって
運動が解禁になっても
みんなと同じように動作を機敏にしたり
瞬間的に反射して「投げたり」「打ったり」「走ったり」が
ほとんど出来ませんでした。
そのため、「ノロマ」「ヘタクソ」を初めとして
「お前は見学が似合っとる」などと
罵倒されていました。
しかし、中学時代で体育の井手先生と出会ってからは
その「劣等感」は嘘のように消えてしまったのです。
それ以来特に私に合っている運動種目は
高校時代になっても、大人になっても
私の自信にブレはありません。
特に教員になってからは
様々なスポーツにチャレンジしました。
長崎北の式見分校では
ラクビー・ハンドボール・剣道に、
長崎日大ではバレーボール・軟式テニス・合気道・バスケに、
それだけでは飽きたらず職員チームの「走ろう会」に所属して
各地のロードレースに出場したり、
長崎日大「走ろう会」の一員として
諫早北高駅伝には11年連続で出場もしました。
また、一方で現ゴルフ部の高塚監督たちと
明倫館寮監仲間4人でゴルフを始めたのもこの時期でした。
ところが、41歳から8年間は
仕事上も私的にも多忙となり、
宴会が増えて運動とは疎遠になりました。
そのため、一時は89kgという体重を持て余す
メタボ人生を送っていた日々がありました。
しかし、糖尿病寸前のところで
2年連続で歩くときに呼吸が苦しくなったことをきっかけに
「歩くこと」から始めて徐々に健康を回復し、
今のように「歩いたり」「走ったり」する生活が
日課となってしまったのです。
最初は全然ダメだった私が
毎日のように歩いたり走ったりを続けることが出来るのは
「劣等感」のお陰なのです。
もう7年続いている「平戸ツーデーウォーク」の最長距離部門の
30kmに2日ともにエントリーしていますが
その途中で私の通過にスタンプを押したりするのは
かつて私をコケにしていた連中が私を応援する立場に立っているわけです。
まあ、その時ほど気分の良いものはありません!
しかし、現在も運動を続けているのは
アメブロで展開している「ピンコロ人生、センテナリアンへの道」という遠大な構想あってのことであり、
また違ったステージで自分と闘っているのです!
若かりし頃の「劣等感」をエネルギーに
明日も闘うでしょう!