昨日の多良見町商工会のビジネス交流会で
空席となっていた「ビジネス交流会の会長」に
指名され就任いたしました。
副会長は、前回通り山田さんに
また監事には唐田さんを指名させていただき
承認されました。
私の役目としては
会長代理だった山田さんの話にあったように
デジタル、パソコン、ソーシャルネットワークなどの利用に関する
期待があったのだろうと思います。
そもそも私がパソコンと関わるようになったのは
まだ長崎日大に勤め始めて
2年か、3年ごろではなかったかと思います。
1981年7月に
私は教育センター明倫館の寮長に就任しました。
その当時大量の文書作成を
山崎総務担当理事(明倫館館長)から
依頼されることが多くあって
手書きが大変だった(何回も何回も書き直しを命じられていた)ため
文書作成を楽にする目的で「NECの文豪ミニ」という
ワープロ専用機を買って利用し始めました。
また、学校や寮で成績処理をするのに
ロータス123などの表計算も利用していたのですが
ワープロ専用機には限界があって
困っていたのです。
また、一方で「漢字統一テスト」のデータを
長崎大学工学部でコンピュータ処理する機会があって
オフコンも利用していました。
そんな体験があったので
東芝からPCが売りに出された時は
早速販売店に見せてもらいに行ったことを
覚えています。
でも、当時は車1台分(約200万円)ぐらいの値段で
買える値段ではないと思ったのでした。
因みに、そのとき私が乗っていた車は
トヨタのセリカダブルxで
確か200万円ぐらいで買ったのと同じでは
買えないということで断念したわけです。
次にコンピータに関わったのは、
平成2年(1990年)4月に
長崎日本大学中学校の開設準備委員に就任した時でした。
中学生にPCを体験させる以上
職員がマスターしてないと
話にならないということで
商業科の迎、理科の故菊地、そして私の3人が
指名を受けて「教職員のPC勉強会」が開催され、
いよいよワープロ機から卒業する段階になりました。
それからは
常に日進月歩のハードとソフトに
対応するのに毎年新たなチャンジというエンドレスな闘いが
続いていきました。
そんなお陰で年齢の割にPCを苦手にすることもなく
常に新しいものに食らいついていくという
今の姿勢が出来上がったのでしょう!
今では、i phone、i pad、ドコモのスマホ、
そしてHPのProBookなどのハードに加え、
HP、アメブロ、FB、ツイッターなどを駆使して
情報の発信、双方向のコミュニケーションなどにも
利用しています。
また、プレゼン用のパワーポイントや
表計算のエクセル関数も
塾の会計処理に重宝しています。
FBなどで若い人たちとの交流などに
使っているところから
今回のようなご指名があったのでしょう!
多良見町に22年住まわせて頂いておりますので
出来うる限りの旗振り役に努め、
幾ばくかの多良見町の活性化のお手伝いをしたいと
考えております!
会員の皆様のご協力も宜しくお願いします。