私はこれまでの人生で
何度も「リセット」してきましたので、
「リセット」自体が
私の人生そのものといった感じです。
最初の「リセット」は
塾長(家内)と26歳の時
結婚するために
当時勤めていたトヨタ東京カローラを
退職して平戸に戻ってきた時でした。
次に勤めたのもやはりトヨタで、
現在臥牛の社長をしている田川博康さんの紹介で
長崎トヨタに入社して
実家から通える佐世保支店に
勤務していました。
しかし、昭和48年10月の第一次オイルショックを契機に
再度「リセット」を考え始めました。
次のリセットは「リセットオール」というべきもので、
大学に戻って「教員免許」を取得するという計画でしたので
周りはヤキモキしたと思います。
しかし、大学2年生までに大半の単位を取っていましたので
本人は至って暢気なものです。
国語科教育法、教育実習、など6単位ほどを
残していただけでしたので
1年間で取れる計算で上京したのです。
でも、当時既に長女が生まれていましたので
「背水の陣」には変わりありません。
家内に生活の面倒を見てもらうわけにはいかないので、
学生時代にお世話になった飯田橋の木屋酒店で
アルバイトをしながら通学しました。
それでも、少し時間的には余裕があったので、
新宿の「東京法経学院」にダブルスクール生として通いながら
「司法書士」の勉強にも励んだ貴重な1年となりました。
そして、首尾よく国語と中国語の教員免許を取得して
翌年から教壇に上がったのです。
最初は鹿町中学校の産休補助教員で
スタートしました。
何せ、5年間車を売ることだけに専念してきたのですから
教員試験はなかなか合格できませんでした。
その産休補助が終わると
次は生月中学校の事務官に採用という話が
決まっていたのですが、
長崎北高等学校校長の松永久摩男先生からの突然のお誘いで
長崎北高等学校式見分校と長崎西高等学校を兼務する
「期限付き国語教諭」の話が舞い込んできました。
勿論、お断りする理由はありませんので
長崎式見と長崎西高に赴任することになり、
長崎市四杖町で独身同様の生活が始まりました。
それから、2年が経過すると
今度は更改できないということになり、
次の選択肢は
私学の「南山高校」か
「長崎日大高校」かというものでした。
調べてみると長崎日大は
校長先生が私の高校時代(猶興館高校)の校長先生でしたので
条件的には常勤講師でというお話でしたが
運命的なものを感じた私は
迷うことなく長崎日大高校に
奉職することを決めました。
寮監をすることが条件でしたが、
翌年の教諭採用試験に合格して「正教諭」に採用されました。
そういう運命も手伝って
実に25年の長きにわたって
長崎日大で勤務させていただきました。
その間、「明倫館」や「長崎日大中」の設立には
2つとも当初から準備委員に抜擢され、
合計14年にも及ぶ運営に携わらせて頂きました。
しかし、54歳のときに早期退職という我儘を聞いてもらい、
またまた人生を「リセット」したのです。
これだけでも、凄いと言う方がいらっしゃるのに
ドラマはまだまだ続きます!
次は、今やっている「みのる塾」を
退職金を元手に教室を広めたり、法人化したりするなど
営業の経験を生かして販売促進などをして
地域社会に認められる塾としての展開を図ってまいりました。
しかし、なかなか事は思うように運びません!
この11年の間には「居酒屋」を経営してみたり
映像を使った「個人指導塾」を喜々津駅前に開校したり
「リセット」続きの展開をしてきました。
また、今年からは「塾の経営」だけでなく、
「数学」も教えるという今までにはない違ったやり方で
新たな展開をしていこうとしています。
また、諫早多良見ロータリー、ながプロ、FBつながりで
様々な学習や気付きがありますので
これからが本当の勝負だと
思っています!
当初思い描いた「行列のできるみのる塾」に
早くなりたい今日この頃です!