2013年4月26日 代表
小学時代から始めたいと思います。
先ずは、何といっても2年生の担任の金澤直子先生でしょう!
金澤先生は、当時私と同じ西荻田地区の須藤薫君宅に
下宿されていました。
そのため、父や母と凄く親しい関係でした。
小学1年生のときに私は「肺シュンジュン」という病気を患い三ヶ月入院しました。
そのため、1年生の後半に学校に復帰しましたが、
その後もずっと静養しなくてはなりませんでした。
そして、母親と一緒に登校しては
4教科だけを学習して帰るという毎日が2年の終わりまで続きました。
そんなわけで母と金澤先生は良く手紙のやり取りをしていたためか、
家族ぐるみのお付き合いに発展していきました。
その関係を決定付けたのは、父と母が金澤先生と結婚された
高村開造氏との仲人をしたことです。
だから、今でも高村姓に変わられ後も
佐世保市花高に住む先生とは
年賀状のやり取りなどがあります。
次に影響力の強かった先生は、
3年生担任の近藤柱石先生です。
今も大切に保管していますが
3学期の通知表所見欄を読むと胸が熱くなります。
その欄だけでは終わらず、
びっしりと小さい文字で
私がどういう方向を目指すべきか、
どんなところを伸ばし、
どういうところを目立たないようにしていけばよいかなどと
アドバイスが溢れんばかりに書いてあるのです。
この3年生まで
「体育」は見学だけに限定されていましたので
このサゼスチョンは私には「玉音」みたいなものでした。
そして、実際に4年生になると
父から聞いた平戸中に越境入学していた大島先輩を
訪ねることにつながっていったのです。
小学低学年のこの時期に
大きな影響を与えたお二人がいらっしゃらなかったら
後の先生方との邂逅もなかったかもしれません。
次回、中学編を書きます!