劇作家•演出家の平田オリザさんが2月15日の日経の
「学びのふるさと」という欄で
「教育とは無秩序から秩序に向かわせること」と述べ、
秩序から無秩序に向かうことは自然なことで
子どもたちが悪いわけではないと
述べられています。
しかし、現実社会では
秩序立てて「役割」を演じているのが
当たり前となっています。
私は小さい頃から
みんな一人ひとり顔が違うように
「個性的に生きたい」、
自分は自分であって
「他人と同じでは嫌だ」といつも考えていました。
そのため、特に小学校では
通知表の所見欄に「協調性」がありませんと
書かれていたことを
今ごとのように覚えています。
これは多分私の場合
小学1年生ときに大病(肺シュンジュン…肺結核みたいなもの)を
患って3ヶ月の入院生活を余儀なくされたひことが
関係していると思います。
小学2年生から
学校にお情けで復帰できましたが
体育の授業が3年生まで見学だったこともあり
運動面のコンプレックスから
勉学で自己顕示欲を満たすという代償行為を
していました。
そのため、学業面は中学時代は学年1、2番
高校時代も10番前後とまずまずの成績だったので
自尊心を保てたのですが
運動面でずたずたでした。
そんな経験が大きく影響して
中学生になると親の反対を押し切って
補習授業を受けずに運動に没頭していきました。
中学1年生の時に
「師弟同行」「啐啄同一」を実践されていた
井手先生という体育の師匠に出会わなかったら、
多分今日の私的生き方はしていなかったでしょう!
そんな少年時代でしたので
それから以後も「個性」を追求していく
高校時代がありましたし、大学時代もまた大方の
大学生とは一味もふた味も違う道を模索していきました。
その結果現在の自分が
ここにこうしています!
あの少年時代と寸分違わず、
今も他人と違う生き方を常に模索している自分がここにいます!