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ダッヂオーブンで料理を作ったことがありますか?

2014年12月21日 代表

「ダッチオーブン」というのは、

簡単に言えば野外料理で使う鉄鍋ですが、

この鉄鍋の「ダッヂオーブン」は使い慣れると

最強の秘密兵器として注目を浴びます。

私がこの「ダッヂオーブン」を使うときは

自宅に友人たちを招待して

駐車場を利用して「屋外パーティ」を主宰するか

特別の日に限られています。

今回は塾生の叔父さんが「あすかファイナルイベント」として開催される

チャリティイベントに参加するのに利用します。

今回のメニューは、沖縄料理の「テビチ」と

豪快な「スタッフドチキン」を

御披露目します。

「テビチ」は、一番時間がかかるので

19日から準備を始めて既に出来上がっています。

IMG_9863

ところで、「スタッフドチキン」という料理はどんな料理でしょうか?

「スタッフド」という単語は詰め込むという意味の英語ですが、

その後の「チキン」がくせものです。

詰め込むわけですから「空洞」がないといけませんよね。

つまり、お腹をくりぬいた「丸鶏」が食材というわけです。

色んなものを詰め込むことができますが、

詰め込んだ後のできあがり以上に

ダッヂオーブンで蒸し上ったシットリ感と、

香ばしく出来上がった黄金色の丸鶏が

何か宝物でも発見したような興奮と感動を覚えるのは

私だけではないようです。

次の写真は、ベトナムから私の友人が

1月自宅に訪れた時に七輪で作っている様子と

出来上がった「スタッフドチキン」です!

2014.03.04 朋有りベトナムより来たる 001 (1)

今回も、このように七輪を利用して作ることにしています。

参加される皆様に喜んでもらえるでしょうか?

レストランや居酒屋のメニューに慣れている方には

馴染みがないかも知れません!

なので、不安が無きにもあらず、

ちょっとその点が気がかりです!

2014.03.04 朋有りベトナムより来たる 001 (5)

sb

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「100歳の現役スイマー金メダル量産!」…80歳から始めて100歳で金メダルだってと話したら?

2014年12月20日 代表

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昨日12月19日の日経新聞にご覧のような記事が載りましたので

家内にこの記事の一部を紹介しながら

「凄いね~、80歳から水泳を始めて

5年後のマスターズ水泳大会の80~90歳の部門で

日本記録を5つ樹立して以来、

世界新や世界初の記録を作り続けて100歳の今も現役だって」と言ったら、

「そりゃそうでしょうよ!

競争相手は、ほとんど死んでしまっていらっしゃらないから当たり前よ!」

という返事が返ってきました。

私は、世の中には何歳になっても「上には上がいる」と思っている1人なので、

彼女の信念を表す上杉鷹山の「なせばなる なさねばならぬ 何事も ならぬは人の なさぬなりけり」とか、

「やっぱり やるならとことんやる」という強烈なメッセージが心に残りました!

これからも挑戦続けると言い切られたことが、とても気に入りました。

そんな訳で紹介したのですが、「冷や水を浴びせられたような感じ」で

朝からモチベーションが下がりぱなしでした。

「人とは違う何かを身につけ、

さらに高見を目指して生き続けたい」ので

これからも、このような記事を見つけては私の肥やしにしたいと

思った朝の出来事でした!

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バターは本当に消えたのだろうか?

2014年12月19日 代表

昨日18日の日経新聞に

次のような記事が載りました。

その記事によると、バターの品薄が続く根本的な原因は

高齢化と後継者不足による日本の酪農家の減少だと述べていますが

本当にそうなのでしょうか?

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確かに、スーパーに行って

バターコーナーを覗くとバターは皆無で、

あるのは「マーガリン」ばかりです。

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ところが、近くのローソンに行くと

品薄感が出た後もちゃんと毎日在庫しているのです。

因みに、このローソンには

ほぼ毎日「まちカフェ」を買いに寄るので間違いありません!

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新聞記事には、時々この種の記事が載るのを見ますが、

何かしら作為を感じるのは私だけでしょうか?

次の写真は「トランス脂肪酸」だけでなく、

我が国の食品群に健康を害するものが

大量に安くあらゆるところでばらまかれていることを指摘しています。

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「トランス脂肪酸」というのは、

自然界には存在しないもので、化学的に作られた

プラスティックと同じものです。

絶対に腐らない、百害あって一利もない有害なものです。

アメリカでは使用すら禁止されている猛毒なのです。

ところが、我が国では

大手を振って町中に溢れかえっています。

何故でしょうか?

写真文面に著者の南さんが指摘されているように

マーガリン、ショートニングを製造する業界やファーストフード店と

密接に結びついたメディアが、

その危険性を報じないからだと述べています。

どうして、報道しないのでしょうか?

その理由は、政官財の鉄のトライアングルが作用していて

利権、献金、賄賂、その他様々な利害関係が絡んでいて、

その甘い汁から逃れられないので、

いつまで経っても解消されないのです!

ニュースとして報道されていることが必ずしも真実かどうかは

誰もこの目で確かめていませんので、

後は「信用するか」「眉唾だと疑って傍観するか」しかありません。

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「人口減少」は統計的に正しいのですが…?

2014年12月18日 代表

日本の人口統計は、いつから取り始めたのでしょうか?

また、出生率との関連性について

日本の為政者が関心を持ち始めたのは

いつ頃からなのでしょうか?

皆様ご存じの「日本の人口ピラミッド」から先ずは見てみましょう。

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このような変化を続けて行くことは、

日本の出生率から推計できることなのですが、

一体いつ頃からこのような数値を公表し始めたのでしょうか?

ネットで調べると日本が人口を調査し始めたのは

相当昔からやっていたことが分かります。

しかし、それを経済的数値として利用し始めたのは

年貢や税金の関係から早くても江戸時代辺りからだと思われています。

そして、それを学問的に将来予測などに使い始めたのは

明治時代以降でしょうし、本格的には第二次世界大戦後と言えるかも知れません。

それにしても私が言いたいのは、

現在日本は「超高齢化社会」を迎えていて

限界自治体だの、介護の問題だの、待機児童の問題だのと様々な難問が山積していることから

地方再生担当大臣まで設けて問題解消のために積極的に取り組んでいるとアピールしていますが、

特に、終戦後の日本政府はこのことは早くから承知していたはずだと私は思います。

今回の選挙でもそうですが、自分たちのやりたい施策は

ちゃんとアピールしますが、本当に国民のために解決してやらなければならない問題については

財源がないとか言って先送りされています。

日本が高度経済成長期を経て「中流中産階級」が増えでバブル期辺りまでは

その恩恵に浴した人たちは独身を通した方がより豊に生きることができる社会になったわけですから

無理してまで終戦後のように「産めよ、増やせよ」ではなくなったのです。

だから、現在の少子高齢化はその時点から決まったようなものでした。

政界官界財界は、自分たちの都合の良いようにしか

その数値は利用しません。

次の新聞記事は、17日の日経に掲載されたものですが

その点この論調には妙に説得力があります。

面白いのは、国土面積がほぼ同じ先進諸国のイギリス・ドイツ・フランスと

比較していることです。

人口密度から見ていくと対英国ならば、9800万人、

対ドイツなら8700万人、そしてフランスなら4300万人で

十分やっていけると言っているのです。

だから、人口が高齢化しようと、少子化しようと

国土に対するバランスや施策の問題ではないかと指摘しているのです。

そんな目は、もうひとつの「一次産業未来に駆ける」という記事にも

散見できます。

このように、人口減が逆に好機に繋がるという

逆転の発想が今求められていると思います!

久々振りに未来に明るい展望を抱ける記事を発見することかでき

楽しい一日でした!

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中華民国の思い出(前編)…朱尚懌さんの記事を読んで思い出しました!

2014年12月17日 代表

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中華民国(台湾)は2度しか行っていませんが

中華人民共和国(大陸の中国)は香港を含めると10回ぐらいは

旅したと思います。

しかし、印象としては2度しか行っていない「台湾」の方だけ、

何故か突出して強い印象と深い思い出が残っています。

というのも、この記事の朱さんのように

日本に対して老若男女を問わず日本びいきの方が

多数いらっしゃるからです。

そして、私がこのブログを書くきっかけになったのは、

「新幹線」という言葉でした。

それと、台湾に対する印象が深くて強烈なのは、

多分に最初旅した時が多感な21歳という年頃であったこと。

そして、まだ戦後余り経っていないという歴史的な背景が

影響しているように思います。

最初台湾旅行をするきっかになったのは、

先輩の奥様の紹介で入会した「全国青い実の会」の中国部長をしていた時のことです。

その会合で机上の空論ではなく、

仲間を集って実際に中国を体験してみようということになり、

当時唯一「中国語」が操れた私に白羽の矢が当たって

8人のメンバーを引率することになりました。

先ほど、先輩の奥様の紹介でと書きましたが、

正確に言うと私が当時下宿していた飯田橋近くのアルバイト先で知り合った

東京理科大学の榎木喬朗(たかあき)氏の当時彼女で

後に奥様になられたユキ子さん

(同じ年生まれだったので敢えてそう呼ばせてもらっていました)

から「全国青い実の会」を紹介されて入会しました。

この会は泉屋クッキーの社長(ユキ子さんが独身の時勤務していた会社の社長)が主宰されていて、

そのユキ子さんが「黒瀬君は中国語ができるのでどうぞ宜しくと紹介されていた」ことから、

社長に良く可愛がって頂きました。

はっきりとは覚えていませんが、

学生のメンバーは会費も取られていなかったように思います。

というか、私の記憶の中では

学生は確か私だけだったように思っています。

そんなご縁で「全国青い実の会」は、

当時中華人民共和国とは国交が回復していななかったため、

中華民国(台湾)に9人の仲間と2週間の研修旅行に出かけました。

大学3年生(21歳)の夏休みのことです。

勿論、当時は1ドルが360円の固定相場制の時代でしたので

相当高い旅行費用だったと思います。

できるだけ費用を安くするため、羽田から台北松山飛行場に飛ぶのではなく、

東京晴海埠頭から那覇港までは「波之上丸」という客船で

丸2日間かかって那覇港に入り、

税関検査(当時沖縄はまだ米軍占領下でパスポートが必要)を受け後、

那覇空港から台北松山飛行場に飛びました。

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この写真は、多分台中で撮ったものだと思いますが、

記憶は定かでありません。

那覇空港で搭乗待ちの時、私たちの直ぐ後ろで

女性同士会話が中国語だったことから搭乗前に親しくなっていたため、

彼女がいるファーストクラスに座らせてもらいました。

彼女の名前は苗豊国と言って、

当時台北では名だたる財閥のお嬢さんで琉球大学から

帰省の途中だったようです。

何が気に入られたか分かりませんが、

台北滞在中に2度(一度は自宅に、もう一度は丸山大飯店夜総会…ダスンパーティ)も招かれました。

私たちの旅行団は、着いた当初台北に3泊、それから台中に2泊、高雄に2泊して

最後にまた台北に2泊したと思います。

その台北から台中に向かう特急列車(観光号という名称)で 
 
各車両に1人いる服務員(日本で言えば車掌ですが、飛行機のCAみたいな仕事)で 

私たちの担当だった王淑媛さんと中国語が話せると言うことでまたまた仲良くなりました。

台北に戻った後も、仕事仲間の丘宝琴さんも交えて、

私たちの仲間も市内観光の案内などをご一緒して頂きました。

しかし、8日間の日程はあっという間に過ぎてしまい、

またまた沖縄に戻って一泊してからまた船に揺られて晴海埠頭に戻ったというわけです。

この8日間、台北・台中・高雄を問わず、

日本語が話せる高齢者が多数いらっしゃって我々若者は

盛大な歓待を各地で受けることができました。

何故、「新幹線」に反応したかというと

私が当時乗った「観光号」は今の台湾では

現在走っている「新幹線」に代わり、

日本の技術協力でできたことを知っていたからです。

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この方が王淑媛さんで、確か当時22、3歳ぐらいだったろうと思います。

その方の裏書きが、次の写真です。

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時代が滲んでいます。それもそのはず、46年も前のものですから…!

さて、そろそろ前編の終わりにしたいと思いますが、

高雄ではどなたかの紹介で日本人ゆかりのお寺を訪ねたときの和尚様と

記念撮影をした写真で本編の終わりとします。

次回は、45年後に行った今の台湾でのエピソードと

近代的な台湾をご紹介します。

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