この文章は林望さんが書かれたものですが、
原点は父親の後ろ姿にあったようです。
しかし、私の父は実家で過ごしていた少年時代も社会人となった後も
私の知る限りでは、「スポーツ」らしきものをしているのを
見たことはありませんでした。
そんな家庭環境でしたので、
高卒後の大学時代の私は一切「スポーツ」は
全くやりませんでした。
しかし、トヨタに入社した頃は折しも「ボウリング」の最盛期の時期で
中山律子さん、須田加代子さん、並木恵美子さんを初めとした
女子プロボウラーの影響を受けた私も「ボウリング」に熱を上げていました。
そして、オールトヨタのボウリング大会で優勝したこともあって
益々のめり込んでいきました。
その後、教員になった後も続けていましたが、
鹿町中ではバレーボールに親しみましたし、
北高式見の時代は、ハンドボール、ラグビー、県道と
親しくなった先生方の影響を受けて
取り組む「スポーツ」も次第に変わっていきました。
更に、長崎日大の正教諭になった後も、
個人的としては職員で組織された「走ろう会」に籍を置きました。
また、学校長の命を受けたクラブ顧問も
「合気道部」に始まり、「軟式テニス部」、「バスケ部」を
歴任しました。
そして、明倫館の寮監になった時は
あれ程やるまいと決めていた「ゴルフ」に入れ上げ、
銀行主宰のゴルフコンペで優勝したりするところまで
熱を入れたこともありました。
でも、「走り」以外は「相手」や「メンバー」が足りないと
練習も試合もままならない「スポーツ」で
自己中の私には「ストレス」そのものでした!
そんな私でしたが、本格的に「歩き」を真剣に取り入れたのは、
再三再四、折に触れて述べてきました
長崎日大の登校時に経験した「呼吸困難」がきっかけでした。
続きを書くのを忙しくて忘れていますが、
後日加筆修正いたします。
しばらく、お待ちください!












