私が最初に外国に興味を抱いたのは、
父が第二次世界大戦中に
中国、マレーシア、ミャンマー(ビルマ)、タイと転戦していき、
終戦を「ラバウル」で迎えたという話を聞いていた頃ことにありました。
父は陸軍でしたが、主に経理や営繕などを担当する部署だったため
無駄死にしなくて済んだようです。
最後は「主計大尉」で終戦を迎えました。
私が小学2年生になって体力を回復すると(小1は約3ヶ月肺の病気で入院)
朝役場に出る前に父と一緒に「基礎英語」と算数の学習をすることが
日課となりました。
「日課」と言うと聞こえが良いのですが、
鶴の一声による軍隊式のスパルタ教育の始まりでした!
しかし、中学生なるとその先行学習のお陰で
「英語」は、私の右に出る者はいないほど得意中の得意教科になっていました。
そして、校内で開催される「スピーチコンテスト「スペリングコンテスト」などで常勝しては
学校代表として郡大会や県北大会に出場するほどになっていました。
さらに、高校生になると学内で学ぶ「英語」の授業だけでは満足できなくなり
友人5、6名と一緒に平戸の勝尾岳にあるプロテスタントのナザレン教会に通い始め、
佐世保基地の牧師だったサリバン先生に
英会話、新約聖書、賛美歌などを始めとする
英米文化を教えてもらっていました。
「英会話」は、主に平戸と田平を結ぶフェリーの中で外国人をつかまえると
手当たり次第に拙い「英語」を投げかけて実地訓練を続けていました。
そんなことも影響してか、高校2年生、3年生の時には
アメリカやイギリスの当時を詳述した
写真入りの書籍を父親にねだって買ってもらったようです。
そして、大学生になると
友人の勧めで入った「全国青い実の会」で
中国部長という肩書きをもらい、
3年生の時に8人のメンバーを引率して
「沖縄・台湾」へ初の海外旅行をしました。
当時、沖縄もまだ日本に復帰していなかったので
沖縄に入るのもパスポートが必要でした。
次に、海外旅行に出かけたのは
家内と行った「香港への新婚旅行」でした。
この時26歳でしたが、
それから大学に戻ったり、公立学校の期限付き教諭だったりしたので
しばらくは海外に出かける機会はありませんでした。
しかし、長崎日大に入って明倫館の寮監をしていたときに
再び、海外に出かけるチャンスが巡ってきました。
長崎日大が長崎県で初めて「海外修学旅行」を敢行することを決め、
その2年目に長崎から船に乗って「天津、北京」を訪ねる
「中国修学旅行」引率の役割が回ってきたのです。
それからは、高校の担任として中国、シンガポールマレーシア、韓国旅行の引率をしたり、
平成3年から8年に受け持った長崎日大中のときは、
オーストラリアへ語学研修の3週間の引率を経験したのも
私の大きな財産となりました。
そして、平成14年3月に54歳で早期退職をした後は、
ニュージーランド、フィリピン、アメリカ、イギリス、タイ、ベトナムなど15ヶ国41地域を
旅して今日に至っています。
これは、偏に長崎日大で奉職したお陰だと感謝しています。
でも、これらの経験は私の長女や長男につながり、
そして、これからは孫たちにつながって行くだろうと期待しています。























