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我が子たちも一緒に生活していた「長崎日大の明倫館」!

2014年5月24日 代表

IMG_6517

長崎日本大学学園の付属施設として建てられた「教育センター明倫館」は

昭和55年(1980年)に竣工されて

昭和56年7月から寮生の生活の場、学習の場、瞑想の場として

使われ始めました。

私は、それまで長崎日大の校内にあった「至誠寮」と

貝津工業団地にあった「向学寮(現民宿北浦荘)」2つの寮の責任者に

昭和55年に任命されて「明倫館」の準備を始めました。

至誠寮は、野球部、柔道部、ハンドボール部、剣道部など猛者が集まった寮で、

向学寮にも空手部を始めとする運動部の寮生もいましたが、

「向学」の名が示すとおり文武両道を志向する寮で「進学希望者」も

入居していました。

私は、そのどちらも経験させて頂きましたが

その住環境、生活環境、学習環境は当時としても酷いものがあり、

「明倫館」という構想が出てきたのも頷けました。

当時、家内は公立学校の教員でしたが

この明倫館の構想を受けて退職し、

明倫館の寮母として翌年から働き始めました。

寮の敷地内には、

A棟、B棟、C棟という3つの寮監棟があって

その内のA棟に私たち家族も住んで

長崎日大の24時間教育の歴史が始まりました。

先ほど述べたように今まで別々の寮にいた者が

一緒に集められて生活するようになりました。

いや、2つの異なる寮生だけではありません。

麗澤学園の「モラロジー教育」をベースにした募集案内の影響で

理想に燃えた新入寮生(賛同した保護者?)も入寮してきていましたので、

全てにおいて混沌とした寮の運営となりました。

早く帰ってくる進学主体の寮生、

比較的早く部活が終わる寮生、

野球部、サッカー部、バレー部、ハンドボール部のように

遅くまで練習をしてくたくたなって帰ってくる寮生が

混在していたのです!

夕方の点呼の時間帯、掃除、夕食、瞑想、学習と

刻々と流れていく寮の日課に合わせられない寮生が続出します。

そして、食い盛りの彼らにとって一番切実な問題は

帰った時に食堂に残っているはずの「食べ物」がないことでした。

早く帰った寮生が先に他人の分まで食べてしまっているのです。

消灯が終わった後も色々大変でした。

ポットを利用してインスタントラーメンを作って食べたり、

下級生にリンガーハットへ買い出しにやらせたりと

様々な問題が発生して

当初モデルにしていた「24時間教育」の理想とは程遠い

「24時間管理教育」になっていため

私にとっては非常なストレスになっていました。

しかも、敷地内の明倫館に一番近い位置のA棟に

私たち家族は住んでいましたので気の休まる暇はありません。

だから、交代の休みがちょっとでも取れると

子どもたちを連れてあちこちに出かけていました。

そして寮で何度か不祥事が発生したことで

引責辞任に追い込まれました。

そして、別の責任者が任命され、私は指導を受ける立場になりました。

その後も2年ぐらい辛抱しましたが、

家族を巻き込んでゼロから作り上げていったものを

否定されたに等しいのですから

昭和62年3月に明倫館を辞して

学校に戻してもらいました。

当時長女は純心中学に通っていましたし、

長男は青雲中学校への入学を希望していましたので

それを機に長男を高尾小学校に転校させ、

長崎市石神に転居して我が家の新たな生活が始まりました。

しかし、明倫館の寮生から「食」の大事さを学んでなかったら

今日の子どもたちの成長もなければ、

私が現在も毎日取り組んでいる「筋トレ」「有酸素運動」「食」などを始めにした

様々な活動も考えつかなかったことは確かです!

30歳代の初めに、本当に身についた勉強ができ、

「明倫館」で過ごすことができたことに感謝しています!

この紙面をお借りして御礼申し上げます。

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