私は、30歳代初頭から
「健康オタク」とも思えるような取り組みを始めました。
その最初のきっかけは今から約40年前の父の病気発症でした。
私たちが結婚した直後の時期
父は、まだ田平町役場の助役をしていましたが、
64歳の時に「尿道結石」ができ、血尿が出たことから
福岡市舞鶴にある公務員共済の「浜の町病院」に入院しました。
その時は、対処療法で治癒したのか、程なくして仕事に復帰しました。
それから1年後に役場を退職すると
今度は田平町社会福祉協議会の理事長に就任し、
5年ぐらい務めたでしょうか?
その後は平戸口駅の近くの小さな事務所を借りて行政書士の仕事を始めました。
私がトヨタを辞め、大学に戻って教員免許を取得し、
公立学校の期限付き教諭をしていた頃に再発しました。
71歳の時に今度は「膀胱腫瘍」ということで
「浜の町病院」に再入院しました。
その時、私は「この際、泌尿器科だけでなく
内科など総合検査を受けてみるように!」進言しました。
しかし、父は前回お世話になった泌尿器科の先生を信頼し慕っていて
「今度もこの先生にお世話になる」と言い張ったのでした。
何故、私が総合検査を受けるように勧めたかというと
父が病気になる前に私の息子が
西諌早ニュータウンの森小児科で「単なる風邪」と診断されたのに
一週間後には「足がパンパンに腫れ」、
風邪の症状でないことが素人目にも明らかでしたので
私は諫早総合病院に連れて行きました。
すると、担当の先生は「即入院です。これは川崎病ですので、
生死に関わるかも知れません」と真顔で言われたのでした。
当時家内は公立学校の教員をしていたので
家内が付き添って緊急入院をしました。
素早い対応が功を奏したのと担当医師が川崎病の権威だったため
その後息子は劇的な回復ができ、今では社会人として元気で海外を飛び回わる仕事をしています。
その時の経験と私の経験が病院、医師、薬をほとんど信用しない方向に向かわせました。
父が、私の忠告を聞き入れてくれていたら
75歳で発症した「膵臓癌」は防げたかも知れません!
そして、まだまだやりたいことが一杯あったのに
76歳で亡くなりました。
だから、「信じるものは救われる」とは全然思えないのです。
逆に、「おぼれる者はワラをも掴む」と言いますが、
過去に私は何人もの同期生や友人が志半ばで
若くしてあの世に召されていった悲しくて苦い経験がたくさんあります。
私は医者はもともと万能ではなく、
自分の学生時代に学んだ「西洋医学」を信奉しているに過ぎず、
その後に出てくる新たな知見も学会に出て勉強しているにも関わらず
実際には役立てていない実例をロータリー活動を通じて知っています!
ましてやそれが商売ともなれば、
高額な「医療」を施したり、高価な「薬」を
数多くの病人に売りつけなければなりません。
しかも、現代では政官財、マスコミ、そして御用学者まで加えて
素人の不勉強を良いことにして「洗脳」までやっています。
だから、まんまと餌食になるのです。
それとは反対に私の母は85歳の時
一人で住んでいた頃私の実家の風呂場のタイルの上で
足を滑らせて「大腿骨骨折」をしました。
近くに住む従兄弟が田平町の青洲会病院に入院させてくれましたが、
その後が大変でした。
母は、以前から「医者」と「薬」が大嫌いで
「大腿骨骨折」をしているのに「金属」を添えた手術はせず
自分で治してみせると言い張りました。
しかし、主治医の説明を聞くと
どう考えても「金属」を添えた手術しか
回復出来る術がないことは明らかでした。
そこで、私は母を説得するのに主治医に
3つの提案をしました。
1 どんな検査をして、どんな目的でどんな薬を
どれだけ使用したかを明記する
2 看護日誌のコピーを頂く
3 主治医が書かれたカルテを頂く
これを1週間に1回、主治医・院長の署名付きで私に郵送してくだされば
母を説得して手術を受けさせますと申し上げました。
その先生は、院長に相談することもなく、
医療に関しては「ど素人」とも思える私の提案を即答で
「分かりました。仰るとおりにいたします!」と答えられたのでした。
その後、母はリハビリも真面目に取り組み、97歳の今も元気に生き延びています。
医者を信ずるために「私なりの医学上の知見」がなかったら
その時そんな知恵は浮かばなかっただろうと思います。
同じ病気、同じ症状でも医者によって正反対の知見を述べ、
全く違う「治療」をする例を数多く経験しています。
私は、42歳からの8年間を除けば
ずっと「走ったり」「歩いたり」してきましたので、
膝が痛くなったり、背中が痛くなったりはしょっ中で、
数多くの整形外科にお世話になってきました。
しかし、教え子の小出光秀君に紹介された
長崎蛍茶屋の「山口和博」スポーツドクターと北村理学療法士に出会うまでは
レントゲンを撮っては、「軟骨が磨り減っています。
消炎剤で経過を見ましょう」という診断と処方でした。
しかし、山口先生の見立ては全然違いました。
年齢と共に筋肉のバランスが崩れてきているので、
「筋肉」を強化してバランスを取り戻す以外に
「走ったり」「歩いたり」することは
難しいでしょうと言われたのでした。
そして、先生が良いでしょう「卒業です!」と言われるまで
2ヶ月間リハビリに週1回は通い続けました。
通い始めたのが6月で卒業したのが9月でしたが、
その年の12月に行われた「ホノルルマラソン」に出場し、
記録更新こそできませんでしたが、無事完走しました。
また、翌年5月の「ウルトラウォークラリー」にも出場して
一度も転倒することなく、第14位でゴールしました。
事ほど左様に精進を惜しまない名医とヤブ医者では違うのです!
だから、私は素人でも「医学的知見」を自分なりに学ぶ必要があると思うのです!
こんな経験から、自宅にトレーニングジム並みの用具を揃えて
毎週月水金は下半身の、火木土は上半身の「筋トレ」も
日課に取り入れ精進を怠らないようになりました。
だから、「膝」が痛むことは今ではうそのように消えてなくなりました。
誰をどれだけ信じるかは、今回述べたような自分自身と身内の体験や
私自身の食事、運動、そして知恵などに左右され、
結果的には「自己責任」で取捨選択する以外にないのです!
私は、これまでも、これからも自分が学んだ良かれと思うことを
自分の体で「人体実験」を繰り返しながら
医者や薬の世話にならない「ピンコロ人生」を全うしたいと思います。
「信じるものは救われる」などと呑気なことは言ってられません、
今日も新たな知見を学び続ける必要があるのです!
私は「歴史」は人の作り上げたもので、
自分の「体験」とは無縁なので
愚者と言われようが高慢ちきと言われようが、
何と言われても自分の「体験」と「知見」を信じて
生き続けたいと思います!