
私は
「仮説」を立てた後に「実験」をしてみて
そしてその仮説が正しかったかどうかということを
検証していくという試行錯誤の中から
自分に適したものを取捨選択して
これまで生きてきたように思います。
長い年月をかけて追求しているものの1つが
健康維持のために続けている「ウォーキング」と「食事」の実験です。
中でも
今まで一番苦労してきたのが
「減量」でした。
元来食べたり飲んだりすることが好きな私は、
減量に成功してもちょっと油断すると
直ぐリバウンドを繰り返してきたという苦い経験があります。
しかし、「糖質ゼロ」「糖質制限」をやれば、
リバウンドしないという釜池豊秋先生の説を
昨年5月に学んで実践したところ、
少しぐらいリバウンドしても
直ぐに元通りになるとことが分かり、
それ以来60~63kgの範囲でコントロールできるようになりました。
また、「たんぱく質」と「脂質」だけの生活でも
健康上の問題は何も起こらなかったし、
長距離走(フルマラソン)や
ウルトラウォークラリーなどの激しい運動をしても
エネルギーが枯渇したり、
動けなくなったりしないことも立証できました!
これは、「仮説→実験→検証」の有効性を示す
一例に過ぎないと思います。
あらゆることに応用が利くはずです。
健康維持やパーフォマンスの向上だけでなく、
今年は私の本来の仕事である
塾生の指導に活かそうとしています。
中学生の「数学力」を
劇的に向上させるために、
数学が本来持っている
「終始一貫の論理性」を利用したら
上手くいくという仮説の下、
小学1年から高校3年までの指導方法の確立を
目指しています。
仮説を立てて「実験」を続けていけば
そこには必ず「規則性」を発見することができます。
それを体系化していけば
人様のお役に立てるというわけです。
前にも書きましたように
「人生100年時代」の壮大な構想も
実験・検証に成功すれば
日本は世界に先駆けて「超高齢化社会」に
入っていっていますので
これから追いかけてくる後発組の良いお手本になれるでしょう!
みなさんも周知を集めて
壮大な実験をやっていきませんか?
今日は、前々から計画していた
九州国立博物館で開催中だった「大ヴェトナム展」に
家内を連れてやってきました。
私は、2009年以来何度もヴェトナムを訪れて
現地在住13年の中村さんのお陰で
歴史を始めとする様々なヴェトナム文化、食文化に
触れてきましたが
家内は塾の仕事の都合上
なかなか連れて行くことができないでいました。
そこで、大宰府の九州国立博物館は
近場でもありますので
何としても会期中に連れてきたかったのです。
幸い、九州国立博物館は
太宰府天満宮の直ぐそばにあり、
天満宮にお参りするのが大好きな家内の趣向も
知った上での誘いだったわけです。
お参りを済ませると
近道を通って博物館へと向かいました。
途中、菖蒲園が綺麗だったので
菖蒲園もちょっとだけ立ち寄りました。
ここを過ぎた先に先ほどの
「九州国立博物館」へと上がっていく
長ーいエスカレーターがあります。
チケット売り場で買おうとしていたら
親切な方がいらっしゃって
「チケットが一枚余ったので使ってください」との申し出があり、
ちゃっかり頂いた私たちは
1枚だけ買って入場しました。
撮影できるのは、この入口まで、
中は当然撮影禁止です。
どんな内容かというと
序章 どこから来たのか 夢のはじまり
第1章 天空に竜の舞う 千年の都ハノイ
第2章 愛と冒険の航海
第3章 ベトミーズ ビューティ
などで
今まで私たちが学校の歴史などでは教えてもらわなかった
ヴェトナム(英語表記がVietnamなので、私は「ヴ」を使用します)と
日本との関わりが満載されていました。
私は、知っていることも一部あって
はしょりながら進みましたので
家内より早く出て出展コーナーの「日本で買うヴェトナム土産」を
物色して「バーバーバー(333)という現地ビール」と
「ヴェトナム焼酎」を買いました。
それから、チケット売り場で待ち合わせて
折角だから「ヴェトナム料理」を食べさせようと思い、
前もってガイドさんに教えてもらっていた
「The New Otani」のレストランへ行きました。
ランチタイムにちょっと早かったため
少し待たされましたが、
直ぐに座ることが出来ました。
そして、私は定番の「チキンスープのフォー」を、
家内は「ヴェトナムチャーハン」を頼んで
2人でシェアーしながら食べました。
ホテルを経営する「オオタニ」が作っているので
味は現地の味そっくりに作ってあり、
満足の出来るレベルだったと思います。
家内が食べたチャーハンと
付け合せに頼んだプチサラダです。
ー因みにヴェトナムのレストランでは
サラダは山一杯これでもかというほど出てくるのが普通ですー
しかし、私は一般庶民が立ち寄る
街角の名もない屋台で現地の人に混じって
食べるがこよなく好きです!
そんなヴェトナムプチ体験の旅も
午後1時には終わり帰途に着きました!
7月帰省予定の娘から、今朝の日経新聞に記載されている
「おおむら夢ファーム シュシュ」に行ってみたいとメールが届きました。
日経新聞のプラス1の「何でもランキング」、「自然味わう農園レストラン」の
第10位にこのシュシュが載っていました。
農園レストランは無農薬または低農薬で育てた穀物や野菜などを使うところが多く、作り手の顔が見える安心感や、忘れかけられた郷土ならではの食材や料理を生かすため、消費者の支持を集め、各地で増えつつあるそうです。
ランキングの5位までが東北地方が占め、九州で唯一選ばれたのが長崎県大村市の
シュシュですから、すばらしいではありませんか。
私はそこに行ったことはありませんでしたが、お友達から有名なアイスクリームを頂いたことがあったので、「シュシュ」という名前は以前から知っていました。
早速、ⅰphoneで調べて電話をしましたところ、予定した日は事業者さんが入っていて無理そうでしたが、今朝の日経新聞を見て電話したと言っていたので、それが功を奏して?か、12:30~でよければとのことで予約することができました。
電話に出られた女の方の応対の気持ち良さと、また一つ増えた食の楽しみで、ささやかなハッピー感を味わうことができた今朝の出来事でした。
私は引越しが趣味ではありませんが、
学生時代から今に至るまで
何度も「住まい」を代えて来ました。
余りにも回数多く引越しをしましたので
今回は長崎日大に
お世話になった後からに限定して
お話したいと思います。
昭和52年(1977年)、丁度30歳の時に
長崎日大に勤め始めました。
その頃家内は公立学校の教員として
平戸の実家で暮らしていましたので
私は単身で諫早に住むことになりました。
今は若葉町というところに
36年前には「工業団地」の宿舎みたいなのがあって
ただ同然のぼろあばら家(1年)からスタートしました。
その次は、乙女石(確かこれを「めおといし」と読ませたような?)
小船越の御館山の直ぐ下の借家に約1年いました。
それから家内が西諫早小学校に転勤してきたので
長崎日大に近い馬渡町の9番地に
本格的な借家を借りました。
今日その場所に行ってみたのですが
元の家は建て替えられていて
「岡本」さんという方が住んでいらっしゃいました。
久々振り通りましたので、
家が建て変わっていることすら知らず、
時が過ぎ去ったことをひしひしと感じました。
しかし、周囲にはまだ当時から
親しくしていただいた方たちも
大勢住まわれています。
この後、昭和56年7月(1981年)になると
東大川をはさんで対岸にある
長崎日大の教育センター明倫館の寮監棟に
引っ越したのです。
明倫館と長崎日大の距離は
約1kmぐらいでしょうか?
目と鼻の先と言っても良いくらいの近距離に
あります。
ところが、ここで1つ問題がありました。
それは、川1つ挟んでいるのですが
小学校の校区は明倫館の場所は
真津山小学校の校区になるのです。
子供たちは川向の馬渡町9番地に住んでいて
幼稚園から西諫早の地区センター内に
通っていたので「西諫早小学校」に行きたいと
言いました。
その時役に立ったのが
馬渡町9番地に住んでいたときに
色々と町内会のお手伝いなどをしていたお陰で
「校区外申請」が出来たということです。
しかし、長女が西諫早駅から
長崎の純心中学校に通うようになって
また事情が変わってきました。
体力的に劣る長女が「汽車通」に
耐えられないことが次第に分かってきました。
純心は、JRを浦上駅で降りた後も
市電で長大前まで行き、
長大キャンパスを通り抜けて
やっと到着するという不便さでした。
その頃一方で私が
明倫館から学校の職員として
担任に復帰するという話が持ち上がっていましたので
それを機に長崎に居を移すことにしました。
長崎市石神で3年間借家住まいをしました。
長女は歩いて10分ぐらいだったでしょうか?
長男も同時に西諫早小学校から
長崎市立高尾小学校に転校していましたので
歩いて5分という便利さでした。
そして、長男が青雲中学校に進学すると同時に
喜々津団地に家を作って住み始めたのが
平成3年4月のことでした。
この家ですが
今は西宮さんという方がお住まいです。
というのも、平成9年に売却したのです。
35年という長期のローンが計算してみると
長崎日大を辞めた後もずっと続き、
毎月だけでなく、ボーナス時の支払など
後々重くのしかかってくるということに気づいたからでした。
今でもこのときの判断は
間違ってなかったと思います。
その後、直ぐ裏の借家に引っ越しました。
今は別の方がお借りのようです。
そして、平成12年から今の松岡さんの借家に住まわせてもらい、
13年が経ったというわけです。
この家の横は空き地です。
そこには、最初様々な雑木など不要な立ち木が
沢山植わっていましたが
自由に使って良いということだったので
私たちが耕運機で耕したりして
今の「家庭菜園」があります。
その後中里に新たに百坪の農園を借りたので
今は自宅横の家庭菜園は余り機能していませんが
ちょっとした直ぐ採れる「野菜」づくりなどに
適しています。
それと何と言ってもここが良いのは
梅の木が大小あって
自由に収穫できるということです。
そういうわけで、私の「住まい」に関する
要求水準はその時に応じた
「機動性」と「機能」と
「家族の満足度」ということになるでしょうか?
また、70何歳かになったら
引っ越すことになるかも知れません!