みのる塾|諫早市の学習塾「夢をつくる未来をつくる !」

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「人口減少」は統計的に正しいのですが…?

2014年12月18日 代表

日本の人口統計は、いつから取り始めたのでしょうか?

また、出生率との関連性について

日本の為政者が関心を持ち始めたのは

いつ頃からなのでしょうか?

皆様ご存じの「日本の人口ピラミッド」から先ずは見てみましょう。

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このような変化を続けて行くことは、

日本の出生率から推計できることなのですが、

一体いつ頃からこのような数値を公表し始めたのでしょうか?

ネットで調べると日本が人口を調査し始めたのは

相当昔からやっていたことが分かります。

しかし、それを経済的数値として利用し始めたのは

年貢や税金の関係から早くても江戸時代辺りからだと思われています。

そして、それを学問的に将来予測などに使い始めたのは

明治時代以降でしょうし、本格的には第二次世界大戦後と言えるかも知れません。

それにしても私が言いたいのは、

現在日本は「超高齢化社会」を迎えていて

限界自治体だの、介護の問題だの、待機児童の問題だのと様々な難問が山積していることから

地方再生担当大臣まで設けて問題解消のために積極的に取り組んでいるとアピールしていますが、

特に、終戦後の日本政府はこのことは早くから承知していたはずだと私は思います。

今回の選挙でもそうですが、自分たちのやりたい施策は

ちゃんとアピールしますが、本当に国民のために解決してやらなければならない問題については

財源がないとか言って先送りされています。

日本が高度経済成長期を経て「中流中産階級」が増えでバブル期辺りまでは

その恩恵に浴した人たちは独身を通した方がより豊に生きることができる社会になったわけですから

無理してまで終戦後のように「産めよ、増やせよ」ではなくなったのです。

だから、現在の少子高齢化はその時点から決まったようなものでした。

政界官界財界は、自分たちの都合の良いようにしか

その数値は利用しません。

次の新聞記事は、17日の日経に掲載されたものですが

その点この論調には妙に説得力があります。

面白いのは、国土面積がほぼ同じ先進諸国のイギリス・ドイツ・フランスと

比較していることです。

人口密度から見ていくと対英国ならば、9800万人、

対ドイツなら8700万人、そしてフランスなら4300万人で

十分やっていけると言っているのです。

だから、人口が高齢化しようと、少子化しようと

国土に対するバランスや施策の問題ではないかと指摘しているのです。

そんな目は、もうひとつの「一次産業未来に駆ける」という記事にも

散見できます。

このように、人口減が逆に好機に繋がるという

逆転の発想が今求められていると思います!

久々振りに未来に明るい展望を抱ける記事を発見することかでき

楽しい一日でした!

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中華民国の思い出(前編)…朱尚懌さんの記事を読んで思い出しました!

2014年12月17日 代表

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中華民国(台湾)は2度しか行っていませんが

中華人民共和国(大陸の中国)は香港を含めると10回ぐらいは

旅したと思います。

しかし、印象としては2度しか行っていない「台湾」の方だけ、

何故か突出して強い印象と深い思い出が残っています。

というのも、この記事の朱さんのように

日本に対して老若男女を問わず日本びいきの方が

多数いらっしゃるからです。

そして、私がこのブログを書くきっかけになったのは、

「新幹線」という言葉でした。

それと、台湾に対する印象が深くて強烈なのは、

多分に最初旅した時が多感な21歳という年頃であったこと。

そして、まだ戦後余り経っていないという歴史的な背景が

影響しているように思います。

最初台湾旅行をするきっかになったのは、

先輩の奥様の紹介で入会した「全国青い実の会」の中国部長をしていた時のことです。

その会合で机上の空論ではなく、

仲間を集って実際に中国を体験してみようということになり、

当時唯一「中国語」が操れた私に白羽の矢が当たって

8人のメンバーを引率することになりました。

先ほど、先輩の奥様の紹介でと書きましたが、

正確に言うと私が当時下宿していた飯田橋近くのアルバイト先で知り合った

東京理科大学の榎木喬朗(たかあき)氏の当時彼女で

後に奥様になられたユキ子さん

(同じ年生まれだったので敢えてそう呼ばせてもらっていました)

から「全国青い実の会」を紹介されて入会しました。

この会は泉屋クッキーの社長(ユキ子さんが独身の時勤務していた会社の社長)が主宰されていて、

そのユキ子さんが「黒瀬君は中国語ができるのでどうぞ宜しくと紹介されていた」ことから、

社長に良く可愛がって頂きました。

はっきりとは覚えていませんが、

学生のメンバーは会費も取られていなかったように思います。

というか、私の記憶の中では

学生は確か私だけだったように思っています。

そんなご縁で「全国青い実の会」は、

当時中華人民共和国とは国交が回復していななかったため、

中華民国(台湾)に9人の仲間と2週間の研修旅行に出かけました。

大学3年生(21歳)の夏休みのことです。

勿論、当時は1ドルが360円の固定相場制の時代でしたので

相当高い旅行費用だったと思います。

できるだけ費用を安くするため、羽田から台北松山飛行場に飛ぶのではなく、

東京晴海埠頭から那覇港までは「波之上丸」という客船で

丸2日間かかって那覇港に入り、

税関検査(当時沖縄はまだ米軍占領下でパスポートが必要)を受け後、

那覇空港から台北松山飛行場に飛びました。

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この写真は、多分台中で撮ったものだと思いますが、

記憶は定かでありません。

那覇空港で搭乗待ちの時、私たちの直ぐ後ろで

女性同士会話が中国語だったことから搭乗前に親しくなっていたため、

彼女がいるファーストクラスに座らせてもらいました。

彼女の名前は苗豊国と言って、

当時台北では名だたる財閥のお嬢さんで琉球大学から

帰省の途中だったようです。

何が気に入られたか分かりませんが、

台北滞在中に2度(一度は自宅に、もう一度は丸山大飯店夜総会…ダスンパーティ)も招かれました。

私たちの旅行団は、着いた当初台北に3泊、それから台中に2泊、高雄に2泊して

最後にまた台北に2泊したと思います。

その台北から台中に向かう特急列車(観光号という名称)で 
 
各車両に1人いる服務員(日本で言えば車掌ですが、飛行機のCAみたいな仕事)で 

私たちの担当だった王淑媛さんと中国語が話せると言うことでまたまた仲良くなりました。

台北に戻った後も、仕事仲間の丘宝琴さんも交えて、

私たちの仲間も市内観光の案内などをご一緒して頂きました。

しかし、8日間の日程はあっという間に過ぎてしまい、

またまた沖縄に戻って一泊してからまた船に揺られて晴海埠頭に戻ったというわけです。

この8日間、台北・台中・高雄を問わず、

日本語が話せる高齢者が多数いらっしゃって我々若者は

盛大な歓待を各地で受けることができました。

何故、「新幹線」に反応したかというと

私が当時乗った「観光号」は今の台湾では

現在走っている「新幹線」に代わり、

日本の技術協力でできたことを知っていたからです。

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この方が王淑媛さんで、確か当時22、3歳ぐらいだったろうと思います。

その方の裏書きが、次の写真です。

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時代が滲んでいます。それもそのはず、46年も前のものですから…!

さて、そろそろ前編の終わりにしたいと思いますが、

高雄ではどなたかの紹介で日本人ゆかりのお寺を訪ねたときの和尚様と

記念撮影をした写真で本編の終わりとします。

次回は、45年後に行った今の台湾でのエピソードと

近代的な台湾をご紹介します。

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何年か振りで「プチ断食」をしました!

2014年12月16日 代表

「断食」と聞くと

とても難しいことのように響きますが

皆様は、如何でしようか?

実は、13日の夕食に食べたBBQを食べた翌日

その日の食べ過ぎが原因なのか、食中りが原因なのか分かりませんが

14日日曜日朝に起床した午前8時頃に

久々振りに激しい「嘔吐」に見舞われました。

その日は、家内と長崎に年に1度浜屋デパートに行くことになっていましたので、

拙いなあと思いましたが、トイレに何度か駆け込んだ後

少し収まったので予定通り出かけることができました。

しかし、自宅に帰ってからもコタツで休んでいましたが、

時折押し寄せてくるムカツキと、下痢で往生しました。

結局、朝に1回、午後に1回、午後3時から5時にウォーキングした後に1回と

都合3回の嘔吐がありました。

トイレに駆け込んだ下痢は翌日の朝までも続きました。

でも、そんな激しい嘔吐や下痢でも

病院や薬のお世話になることはしません!

ひたらすら休むこと(コタツやベッドで横になること)と

流動性飲食物以外は口にしないことです!

14日は、Amweyのレモンライムを500mlぐらい、

轟峡の水500mlぐらい、そしてAmweyのコーヒー350mlぐらいです。

15日は、前述のレモンライム350mlぐらい、Amweyのコーヒー600mlぐらい、

味噌汁の汁のみを300mlぐらい、轟の水1リットルぐらい、

そしてローソンのMACHI CafeのMサイズを2杯飲んだだけです。

この間固形物は一切口にせず、それを今夜まで続ける予定です。

考えてみると、これが一番適切な病気の治し方なのでしょう。

なぜなら、自然界にいる動物は全て私が取るのと同じ方法で治癒しているのです。

わが家の犬も、猫も同じ方法で治しています。

このことを最初に学ぶきっかけは、

48歳に発症した私自身2度目となる病気が原因でした。

しかし、それは「糖尿病」になる一歩手前の症状だったことは

後々知ることになりました。

その頃盛んに読んでいた書籍は、

「病気」の関連からではなく、ご多分に漏れず「ダイエット」の書籍群でした。

最初に甲田光雄医師のことを知るきっかけになったのは、

サンマーク出版から1999年(今から15年前)に出版された

『自然な生き方と出会う』という書籍でした。

その一節に「断食をすればするほど生命力がわいてくる」という文章が載っていて

そこから『奇跡が起こる半日断食』、『断食療法の科学』、『断食療法50年で見えてきたもの』など

多数の著作も読ませて頂き、自ら人体実験を繰り返しました。

その結果、ダイエットを達成しただけでなく、

完全な「健康体」を取り戻すことに成功しました。

そんな経験があったので、今回もその体験を生かすことにして

一昨日、昨日、今日の3日のプチ断食を敢行したというわけです。

皆様も一度お試しになっては如何でしょうか?

でも、その前に以下の写真に掲げますような書籍をお読み頂き、

納得された上で実践することをお勧めします。

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私と長崎日大の「教育センター明倫館」!

2014年12月15日 代表

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私が長崎日大に在籍した25年間でさせてもらった仕事は

大きく分けると3つありました。

1つは、「教育センター明倫館」の設立運営に関する仕事で花の30歳代

2つは、「長崎日大中」の設立運営に関わる仕事で中年時代で、

3つ目が、高校や中学校でやらせてもらった担任の仕事です。

どの仕事も、有意義で様々な経験をさせて頂きましたが、

矢張り、何と言っても充実度という点では「教育センター明倫館」でさせて頂いた仕事でした。

この仕事は、1980年4月に向学寮と至誠寮の寮監長を

拝命したことから始まりました。

その頃、私たち家族は明倫館の横を流れる

東大川を間に挟んだ馬渡町に住んでいましたが、

貝津の工業団地内にある向学寮に行くときも

長崎日大高の校内にあった至誠寮に出かけるときも

泊まりがけで出かけたものです。

至誠寮は、明倫館が設立運営された後、

グランドを整備するときに解体されて今はその痕跡もありません。

しかし、向学寮は今は人手に渡って違う形で存続していることを

「みのる塾」に通ってくれていて

今は長崎日本大学中学校に通学してくれている

北浦愛花さんのお陰で知ることができました。

どんなことかいうと、北浦さんの両親が経営される「北浦民宿」として

今もその名残を留めているということなのです。

だから、その昔「向学寮」を知る迎先生とか私や

向学寮にちょっとでもいたことのある卒業生にとっては

大変懐かしい建物でしょう!

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さて、私が教育センター明倫館の責任者になるに至ったきっかけは

向学寮と至誠寮の寮監長をする1年前の長崎日大の忘年会の席で

当時校長先生をしていた山崎先生に呼ばれて、

当時公立学校の教員をしていた家内を

「理想のためなら何時でも辞めさせることができる」と聞いたが

その噂話は本当かどうかと尋ねられたのです。

その上で、実は向学寮と至誠寮を畳んで「教育センター明倫館」という

今までにない構想の寮・各クラブ利用・対外利用など

様々な機能を備えた「教育の館」を創ろうと考えているのだが、

どうだろうかという打診だったのです。

それ以前から私は自分の子育ては勿論のこと、

従来型の教育に限界を感じていて、

私なりに様々な研究をしていた時期と付合していたので

一も二もなく、即断即決となりました。

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しかし、それまでは東大川を挟んで学校と約1kmぐらい離れていた家族や私が、

教育センター明倫館の中に住むことになったのですから大変です。

この白い建物は、寮監棟と言って一番手前から

A棟、B棟、C棟と名付けましたが、寮生が住む本棟とは僅かに50mぐらいなので

生活の一部始終を覗かれている感じでした。

勿論、寮生にとっては四六時中監視されているという感じだったでしょう!

兎に角、この教育センター明倫館は設計図、施工、そして竣工に至るまで、

いや、ハードだけではなく、寮の運営方法など細部のソフトの全てを

私1人の力量に任されて竣工した後の1981年7月から運営が始まりました。

寮生入寮に関する私の要望は、

明倫館が理想とする新規入寮生だけを受け入れたいというものでしたが、

採算が成り立たないと運営できないと言われ、

向学寮、至誠寮の寮生も明倫館を希望する者は全員受け入れることになりました。

でも、このことが後々大きな問題点を引き起こすことになったのは

当然と言えば当然、その結果私も責任を問われることになったことは皮肉でした。

しかし、この仕事を引き受けて私たち夫婦が一番良かったと思えることは

当時幼稚園生や小学生だった子どもたちの面倒を夫婦で見ることができたことと、

そして、私にとって何より重要だと後々思えたのは、

寮生の食生活をつぶさに観察する中で

子育てをする上で「どんなものを与え、どんなものは与えてはいけないか」を

具に学んだことでした。

そして、それは今でも私自身のその後の「食生活」に多大な影響を与え続けてくれています!

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それと、この時期に同時進行で受け持っていた仕事に

日本大学通信教育学部の学習センターというものもあります。

最初は、単なる責任者として場所提供のお手伝いをする程度でしたが、

色々見聞きするうちに、日本大学の通信教育学部で

長年の夢であった「英語」を本格的に学んでみたいと思い始め、

「英語免許」を取りたいとの思いとも重なり、

通信教育生となりました。

それ以来、5年ほど在籍して東京神田で行われる「スクーリング」に

夏休みを利用して出てみたり、長崎県人会に出席したりしているうちに

日本大学通信教育部長崎県人会の会長を3年間も続けることになって、

この経験から大学の教授は元より、様々な人脈も構築することができました。

明倫館を運営していく上で研修させてもらったこと、

経験させてもらったことが他にもいくつかありましたが、

これらも、その後の私の人生に彩りを加えています!

1つは、坐禅を学習室の机の周りでやるために天佑寺の須田道輝老師の知己を得たこと、

2つは、モセロジー教育で有名な岐阜県の瑞浪市にある「麗澤瑞浪高校」、

千葉県柏市の「麗澤高校」と「モラロジー研究所」などで広池千九郎先生が創設された

道徳科学を学ぶことができたこと、

3つは、東京小金井市前原にある「意識教育研究所」で

波場武嗣先生に「内心教育」を教えて頂いたことで

自分の精神面の弱点を学んだこと、

4つは、長崎日大高校での講演をきっかけにできた

勅使河原和風先生直轄の「諫早生け花教室」が道具屋ホテルで開催され、

和風流生け花免許が取得できたこと、

5つは、当時の諫早自動車学校の校長であった谷川義士氏のお陰で

「大型自動車免許」を取得したこと、

その他にも、年がら年中走ることが出来たので

諫早北高駅伝に11年連続で走る礎が築けたこと、

金持ちのスポーツだと考えていた「ゴルフ」を館長山崎さんの許可の下、

寮監仲間で毎日のように練習に励むことができたこと、

そのうち一人は現長崎日大のゴルフ部の監督として活躍されています。

それにしても、華の30代の8年間に

明倫館中心の仕事をさせてもらったお陰で

私や家内の原点や原動力となり、

今も私や家内の「原点」や「原動力」となって

脈々と生き続けています!

最後に、もう一度今の明倫館の写真をお見せして終わりにします。

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ヤギを漢字で書くと「山羊」と書きますが、「ヤギ」と「ヒツジ」とどう違うのか疑問に思いませんか?

2014年12月14日 代表

私は自宅を起点にして

年中無休で歩いたり、走ったりしています。

すると、四季折々の自然の変化は元より、

建物が壊されたり、新築されたり、お店が閉まったり、開店したり、

あるいは動物の姿に見とれたりと、

私の好奇心は何時も全開です!

そんな観察の1つに最近気になっているのが

多良見町の奥座敷と言われる「西川内」の入口辺りに

毎日のように繋がれている「ヤギ」さんなのです。

エサは、何時もタップリと飼い主が置かれていますので

不自由していないようですが、

私が近づいて顔をなでなでしてやると

気持ちよさそうにしてくれる懐いてきました。

そこで、前々から気になっていた「ヤギ」を漢字で書くと「山羊」と書くのは、

「羊」と関連性があるのではと思い、調べて見ました。

すると、鳴き声は日本語で表すと「メエ~」と同じだとか、

山羊も羊も生物学上の分類は、「ウシ科ヤギ亜科」に属していることが分かりました。

その下の、「ヤギ属」と「ヒツジ属」で違いが出るのです。
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ヤギは、個性が強く、集団行動をせずに、自立心が強い性格なのに

ヒツジは、いつも集団で群れていて、個々の個性が無く、

何か起こると、みんなでオロオロして、どうして良いか分からないという状況に陥ります。

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