クーリエジャポンは、
買い始めて余り期間が経っていませんが
今では「海外情報」を得るための貴重なニュースソースとして
活用しています。
2016年2月号を見てみたら
通算135号となっていましたので
ググってみたら創刊して10年も経っていたことに
驚きました‼️
何事も「風雪に耐えて」生き残る、
「続ける」ということは一筋縄では出来ないことなので、
この月刊誌は、今後も応援したいと思います‼️
クーリエジャポンは、
買い始めて余り期間が経っていませんが
今では「海外情報」を得るための貴重なニュースソースとして
活用しています。
2016年2月号を見てみたら
通算135号となっていましたので
ググってみたら創刊して10年も経っていたことに
驚きました‼️
何事も「風雪に耐えて」生き残る、
「続ける」ということは一筋縄では出来ないことなので、
この月刊誌は、今後も応援したいと思います‼️
海外旅行をしたことのある人でしたら
必ず遭遇する困ったことは
1つや2つではありませんよね。
だから、相手の立場に立ったこういう「おせっかい」は
大いに結構だと思います。
タイトルにあるように「一期一会」の精神も
その時に出来る「最善」を尽くすということで
大いに意義あることだと思います。
私たちが住む長崎でもこういう試みが始まると良いなあと
思っています。
先日、24日の日経「春秋」に、次のような記事が載りました。
内容的としては、クリスマスイブは昔のような盛り上がりには欠けるけれども、
楽しみ方色々でイブを独りで過ごすのも悪くはないというような書き方でした。
それに対して、私はそもそもクリスチャンでもないものが
イブだからクリスマスだからと言って
ケーキを食べたり、クリスマスツリーを飾ったりすること自体が
商業主義に踊らされている証で
我が家の子供たちにはそういう体験はさせてないということを
フェイスブックに載せました。
その時に使ったことばが「遠慮」だったのですが、
このことば最近では専ら「人に対して控えめにする」という意味で用いられています。
しかし、本来は『論語の衛霊公』に出典があって、
「深謀遠慮」とほぼ同じ意味で用いられることばです。
つまり、遠い将来まで見通した深い考えの意味で用いられ、
遠い将来まで考えて今やることを取捨選択しなければ、
近い将来必ず心配ごとが生じるというのが元々の使われ方でした。
今のクリスマスイブやハロウィンのお祭り騒ぎ現象も
考えの浅い子供たちだけでなく、浅薄非才な大人たちまで洗脳されて
一時の快楽に酔いしれているに過ぎません。
一体誰に踊らされているのでしょうか?
そろそろ、こういうからくりに気付かないと
一億総白痴化現象が行き渡ってしまって
事なかれ主義の日本人だらけになってしまうことを
憂えずにいられません!
今日から、冬ゼミ(冬の講座)が始まりました。
午前の部は、小学1~6年生の受験を必要としないグループは
Aコースで、主に学校の宿題を中心にしながらも塾のテキストも使って実力をつけます。
また、Bコースを受講する塾生は
来年度公立私立の中高一貫校の受験生(プレジデントコースの塾生)が受講していて、
宿題は勿論のこと、適性検査や作文なども受講します。
午前の部は、大体午前11時20分に終わりますが、
午後の部の小6(Cコース)と中3(Fコース)の受験生は、
12:20に自宅迎えで、昼食抜き(私は食べなくて平気です)で行くことになります。
そして、塾に送り届けると私は自宅に帰って
日課になっている「トレーニング」を始めます。
今日は、酒屋、郵便局、銀行などに用事がたまっていたので
開始時間が何時もより大幅に遅れて午後2時過ぎごろから歩き始めました。
終わった時刻が午後4時を過ぎていたように思いますが、
冬場のこの頃は「寒さ」が身にしみます。
明日からは、もう少し早い時間帯から始めようと思っています。
昔は、小学生が多くてざわざわしていたのですが、
今は、中学生が大半を占めて、
座席に余裕が無い定員ギリギリの状況で
みんなのライバル意識に火かつくと
成績が急激に上昇するので期待しているところです。
もう1つ最近の特徴としては、
保護者の送迎が大半を占めるようになったので
二方向にワゴン車を出さないで住む時間帯も出てきて
経費削減に貢献していることです。
戦後の昭和22年に生まれた私たち団塊の世代は、
何にもない時代に少年時代を生きてきました。
そして、激烈とも言える競争倍率を何とかクリアーして
高度成長経済時代、バブル経済時代を生き延びてきて
今日があります。
しかし、今は逆にものがありふれていて
あって当たり前、ないと不自然なように錯覚させられ、
洗脳されてきました。
だから、ないものはないほどあらゆるものがあちらこちらに
溢れています。
誰もリストラしよう言わないし、
「少ないこと」は、良いことだと言う人は
少数派です。
この文の筆者村上龍が指摘するまでもなく、
この国には何でもあるのに
「希望」や「夢」がありません。
拡大路線という在り来たりの生き方ではなく、
必要最小限で生きるメソッドを開発しないといけません‼️