体調に注意しながら、
追い込みに成功しましょう!
体調に注意しながら、
追い込みに成功しましょう!
今日は、学習を開始するのに先立って
中1生と中2生に対して「春ゼミ(春休みの講座)」と「新年度の講座や新設コース」などについて
塾長から28日に新聞折込のチラシが入る前に
説明が行われました。
そして、石川副塾長先生からも
新年度から担当する学年、そうではない学年に対しても
自己紹介を兼ねてお話がありました。
私からは、塾生が志を新たにし
目的と目標を持って学習をするように
「心構え」について最近見てきたベトナム人留学生が
相当の犠牲を払って来日している様子について
お話をしました。
その話をしたのは、
2月18日~22日の日程(4泊5日)で
出席した「ベトナム長崎同窓会・交流会」をきっかけにして
杏林国際語学学院の理事長先生に同行して訪問した
日本語学校の生徒たちの聴く態度とその熱心さがあったからでした。
日本へ日本語を本格的に学ぶために
留学するベトナム人たちに「杏林国際語学院」の説明するの
3箇所同行しましたが、
その時の一コマを塾生にも「写真」を
I PADで見せました。
2月21日(日)も国内にいるのと変わらず
何時も通り早起きをして日課のウォーキングをハン川沿いで済ませると
ダナンで女性2人が宿泊していたブリリャントホテルに
午前8時に集合しました。
ホテルのロビーには中ちゃんが急会わせたいと前日に言っていた
ドンズー日本語学校のチン・ディン・タン校長先生が
8時過ぎにお見えになり、しばらく歓談しました。
タン校長先生は、来日して日本語を学んだ後
千葉大学農学部で4年間学んだり、
坐禅修行を3年もやるなどとても素敵な好青年で
現在も28歳という若さです。
実は、私は2010年2月に「日越友好ダナンハーフマラソン」を
チームSONOの一員として走った後の懇親会で
名刺交換をしていましたので初対面ではありませんでした。
でも、この日は日程が押していたのでつかの間の再会となりました。
勿論、この時の主目的は
山渋理事長先生に会わせるのが
中ちゃんの目的でしたので
極力口をはさまないように注意したつもりでした。
名残惜しかったのですが
時間が押していたので
前日からチャーターしていたステーションワゴン車に乗って
次の行動予定の五行山へと向かいました。
五行山では、観音寺に植えてある去年8月に植えた
被爆楠の木を確認すること、日越交流ダナン会館を見学すること
ダナン外務局のヒューさんに再会することなどでした。
また、予想もしていなかったこととしては
観音寺のビン住職から昼食の接待まで受けました。
2月20日(土)は、何時も通り早起きをして
ホテルを出発地点としてウォーキングをしました。
今回私が泊まったホーチミン1区の周辺は
これまでに一度も足を踏み入れたことのない場所でした。
外国であろうと日本であろうと初体験の場所で「ウォーキング」をする時は
「往復コース」を必ず設定するようにしています。
特徴のある「ランドマーク」をきちんとマークしながら歩くのですが
それでも道に迷うことがあります。
先日も述べましので、これ以上言及しません。
さて、歩き終わると朝食です。
ホテルの朝食は原則として食べません。
世界万人に共通しているありふれたものしか味わえないからです。
私は、人と一倍好奇心旺盛なので
街角の現地人(英語や日本語が通用しない場所も多々あります)が利用するレストランは元より
道路沿いにある屋台でも平気で利用します。
今回は、珍しく昨日と同じレストランでした。
しかし、食べたものは前日とは全く違うものを食べてみました。
米でできた麺ですが、
フォーとは違って上から別添えの汁をかけて
食べるものでした。
初体験でしたが、美味しく感じました。
女性2人の待つ日航ホテルで待ち合わせた後、
この日は杏林国際語学院理事長先生のリクエストだった
アン・トゥーさんの日本語学校へ
午前10時にお邪魔しました。
山渋理事長先生のご要望は、日本語を学んでいる学生たちへの説明会と
日本へ留学する予定になっているベトナム人留学予定者の面接をすることでした。
私たちも同席させてもらい、説明会も拝見することができました。
この日本語学校の経営者であるアン・ツゥーさんは、
6年間も長崎で勉強したベトナム人留学生の草分け的存在であるだけに
日本語の不慣れな学生たちによどみない通訳振りで
生徒たちも真剣な眼差しで説明に釘付けだったのが印象的でした。
その後、山渋理事長先生は1階に降りていかれて
留学希望の学生3人と面接をされました。
でも、熱心に説明を聞いてくれた残りの学生の相手を
急遽私が担当することになりましたので、
アドリブで 1 夢(志)を持つことの大事さ、2 続けることの大事さを
現在私がやっている塾の仕事と自己紹介を兼ねて
約20分ぐらいのお話をしました。
アン・トゥさんの教え子の人が
助手として通訳をしてくださったので助かりました。
その後、ホテルに戻り
ホーチミン空港からジェットスターというLCCに乗って
ダナンに移動しまた。
ダナンの空港では、長崎に留学経験のあるタン君と
朝一番の便で先に到着していた中村さんが出迎えてくれて
最初にダナン大学へ向かいました。
ダナン大学ではタン君紹介の日本語が上手な教授と
今後のベトナムと長崎の交流促進についての話を主に冨岡先生の名代で来ていた澤部さんがしました。
ダナン大学には、長崎で日本語を学んだ優秀な学生さんたちが
後輩の指導をしているように伺いました。
短時間でしたが有意義な出会いだったと思いました。
ダナン大学を後にすると、
次は、先述したタン君のご自宅兼日本語学校にお邪魔しました。
ここも、杏林国際語学院の山渋先生のリクエストでした。
今回これで、3校目の訪問となったわけですが、
私が観察した中で、タン君の私塾といっても良い日本語学校が
生徒たちが一番伸び伸びと楽しみながら学習に励んでいる様子が伺え、
頼もしい感じがしました。
それは、多分タン君と奥様の暖かい雰囲気、
そして人柄によるところが大きいように思った次第です。
ここでも、山渋先生による3人の面接にも
立ち会いました。
そして、最後は全員で記念写真に納まるというおまけまでついて、
最後は、名残惜しそうに分かれることになったのが
とても印象的でした。
それから、山渋先生がホイアンは行かれたことがないというので
ホイアンに行って、遅い夕食を摂り、
午後9時にダナン市内に戻って
「ドラゴンブリッジ」の火を噴き水を吹くショーを見て
ホテルに戻りました。
2月18日(木)福岡空港から11:40に
山渋久美子さん、澤部寿代さん、そして黒瀬の3名は
タイ国際航空便に乗ってバンコク経由で同日のベトナム現地時間19:55(日本時間21:55)に
ホーチミンのタンソンニャット空港に到着しました。
当日は、夜が遅かったので
ホテル日航に山渋さんと澤部さんがチェックインして
現地在住の中村雅身さんと会った後は
私たち男性2人が宿泊するAN PHU PLAZAホテルに行って
疲れた身体を休ませました。
翌日の19日は、日本にいる時と同じパターンで
午前6時(日本時間は午前8時)に起床して
日課のウォーキングを36:39やりました。
今回のホテル日航があるホーチミン1区の辺りは
普段から立ち寄ることのない地区でした。
こういう土地勘のない土地で歩く時は
ランドマークを把握しながら歩くのですが
それでも道に迷うことがあるので、
基本的に真っ直ぐ進んでいって時間がきたら、
元来た道を往復するようにしています。
信号が少なかった時は迷わなかったのですが
信号が増えてくると何番目だったかを忘れてしまうと
元に戻れなくなります。
今回が、そうでしたが、ランドマークが違う通りを歩いていたのに気付いて
元の交差点に戻ってもう1本先から戻って帰ることができました。
そして、午前7時ごろ近くの241で「フォー」を注文して朝食としました。
ホテルに泊まっても街角で食べるのが私流で
小汚い店でも平気ですが、
この日はちゃんとしたレストランに入りました。
食べたのは、大好きなフォーでした。
朝食が終わるとシャワーを浴びた後
ホテル日航のロビー横にあるラウンジで中ちゃん、山渋さん、澤部さんを待ちました。
それから、山渋さんのリクエストの一つ目の「GO TO JAPAN」という日本語学校に
午前9時半頃に着いて
日本へ留学を希望している2人の女の子の面接試験を
見学しました。
それから、皆様の希望でサイゴンスカイデッキ近くにある
エリートサラリーマンご用達の大衆レストランで昼食を摂りました。
その後、ホーチミンを一望できる「サイゴンスカイデッキ」に13:00頃に昇りました。
そして、またその一角にあるフランスと中国の名残の残るカフェで
15:30ぐらいまでお茶をして、
私と澤部さんが前々から行きたかった
最近つとに有名なった「スシコー」に連れて行ってもらいました。
道路に面した屋台風の海鮮料理、スシ、その他和食を出す
ホーチミンでは名の知れた店です。
中ちゃんの写真、そのほかベトナム在住の日本人の友人が
何度もフェイスブックにアップしていて
兎に角、一度は行ってみたいと思っていた店でしたので大満足でした。
刺身やウミブドウを食しましたが、
新鮮でとても美味しかったし、料金も安かったので
次回もまた必ず行こうと考えています。
集合写真は、中ちゃんが気に入っている店員さんに撮ってもらいました。
金曜日の早い午後5時過ぎの時間帯だったのですが、
結構なお客さんで賑わっていました。
大満足な私の顔もちらりと。
この後、今回のメイン行事である「長崎ベトナム同窓会設立総会・講演会」の会場に定刻前に着きました。
ベトナムも日本と同じで挨拶・挨拶の連続ですし、
講演会も話が長くてうんざりするほどたっぷりと時間が浪費されました。
ただ1つ救いだったのは、
82歳になられるベトナム人のご老人のスピーチでした。
この方は、独学で日本語を50年前に学ばれたとかで
最初紹介があったときにはてっきりベトナム語でお話になるのかと思ったら
流暢な日本語でお話されたのでこの時ばかりは聞き入っていました。
そして、午後9時を過ぎた頃に
やっと待ちに待った「長崎ベトナム同窓会」の交流会が始まりました。
全員ではありませんでしたが、
主だった方々とは名刺交換したり歓談できて
次回につながる楽しい一時を過ごすことができました。
県知事の名代で見えていた観光課の課長とも
長崎で会うよりもベトナムで会うほうが多いような印象を持ちました。
このようにして、ホーチミン到着の翌日は、あっという間にたそがれを迎えたのです。