2012年12月20日 代表
平戸城の直ぐ下にある
長崎県立猶興館高校は私の母校ですが、
「猶興」という校名が付くほど長崎県下では
とても古い歴史と伝統を誇ってたいます。
創立は、明治13年(1880年)9月1日で
旧松浦藩主松浦詮公が
旧藩士などの子弟教育のために
「私塾猶興書院」を設立したのが始まりと言われています。
なので、現在の長崎県立高校の中では
最も歴史の古い学校で、以来2万9千人を超す
卒業生を送り出しています。
校名の由来は
中国の古典『孟子』巻七の尽心章句上にある
「孟子曰く、文王を待ちて、而る後に興るものは凡民なり。かの豪傑の士のごときは、
文王無しといえども猶興る。」から来ているのです!
即ち、才知や徳のある「豪傑の士」と言われる人は
他に頼ることもなく、
文王の教えがなくても自発的に立ち上がって
善を行うことができると「自主自発」を
説いたものです。
私たちが猶興館に通っている頃は
そんな気風が残っていて「バンカラ」が
まだ色濃く残っていた時代でした。
今はどんな校風か分かりません。
また、私たちが通っている頃の校舎は
今のようなコンクリ-ト作りの無機質なものではなく
石造りのような感じで廊下は木製だったように
記憶しています。
美化しているかも知れませんが…!
昭和50年9月トヨタを辞めて大学に戻り
27歳の時に教育実習で2週間お世話になって以来
校内に足を踏み入れたことはありません。
昭和41年3月卒業の私たちは
団塊の世代の走りで「東京支部同窓会」や「長崎支部同窓会」にお邪魔したり、
私自らが同期の「三八会(さんぱち会)」を
立ち上げたりもしましたが、
最近は平戸で4、5年おきに行われる同期会に
出席する程度になりました。
いずれにしも、過ぎ去った過去は戻りません。
現在は「古里は遠きにありて思ふもの」の心境に
近づいています!