諫早市内には、長崎日大の卒業生が経営する
レストラン・ホテル・居酒屋・焼き鳥屋・スナックなどが
数多くあります。
そのうちの何人かは、
直接学級担任をしたり、教科担任をしたりした方たちです。
しかし、飯屋J・Bの牛島博紀君のように
教科担任もして、しかも寮生だったというキャリアーの持ち主は
数少ない一人です。
つい最近まで、諫早駅近くのホテルセンリュウの前で
「はってん家」という店をやっていた鬼塚君も寮生でしたが、
教科までは教えていませんでした。
鬼塚君が去年の暮れ諫早の店を畳んで
島原に引っ越したことが今回の牛島君との再会に繋がったでしょう。
前々からフェイスブックを通じて
彼が鷲崎でレストランを開業しているのは知っていたけど
私にとっては市布駅が使える諫早駅前の方が
利便性が良かったからです。
しかし、鬼塚君が撤退してからは
ロータリー仲間と一緒に行ける
安くて美味しい店を探していました。
最初にみんなを誘ったのは
1年生の時に担任をしていた
近藤公浩君が関わっていると聞いた「千客万来」という居酒屋でした。
そして、次が「飯屋J・B」だったというわけです。
夜の店の店頭はこんな感じです。
そして、店主の牛島博紀君はこんな感じのひとです。
31年振りの再会ですので
高校時代とは随分雰囲気が違うのは当たり前でしょう!
ところで、前に牛島君は元寮生と書きましたが
彼は1年生時は、貝津工業団地にある向学寮にいました。
そして、2年生の時にその向学寮と
長崎日大の校内にあった至誠寮とが合併・廃寮になって
強制的に「教育センター明倫館」に
移籍になったのでした。
その時の直接の責任者が私だったのです。
そして、まだまだ物語は続いていくから世の中は不思議です。
牛島君たちがいたその「向学寮」は
現在も建物が現存していて現在は「民宿きたうら」になっています。
さらに驚くことに
この民宿きたうらのお嬢さんが
つい最近まで「みのる塾生」であり、
しかも長崎日大中に進学したという驚くべき現実があります。
運命は、どこでどう繋がっていくのでしょうか?
私は「偶然」を信じない一人なので
「必要必然」、そうなる運命の下に
天の配慮がなせる技ではないかと思う次第です。
そして、10日は牛島君から頼まれていた「幟」の件で
同じ長崎日大の教え子の中村年克君を
彼の店のランチに誘いました。
昼と夜とでは、
店の表情も全然違います。
当日は、ランチタイムの待ち合わせでしたので
オーナーシェフは忙しく立ち働いていて
中々込み入った話はできなませんでした。
アウトラインをちょっとだけ打ち合わせてもらい
後日ナカムラ広芸社から
提案してもらうことにして店を後にしました。
店のニューは相当沢山、色々バラエティに富んでいて
美味しいという評判ですが
私は「糖質」を制限していますので
食べられるものは限られます。
そのうちの一品はこれです!
また、店内の雰囲気は
こんな感じでとても落ち着ける雰囲気です。
これは、カウンター席しか載せとがてませんが
4人かけのテーブル席も3卓あります。
勿論、貸切もできますので
立食パーティにすれば、30人は入れるでしょう!
FBサロンの「長崎日大はやるばい」という会合の拠点に
することが決まっていますので、後日発表します。
ご期待ください!