私の母は現在96歳です。
家内の母も93歳です。
妹の嫁ぎ先のお母さんは今年100歳ですが、
このお義母さんが一番健康な方で、
今週末には「上寿」の祝いで平戸に帰省します。
そんな家系ですので
私もこれを期に「人生100年時代」の使命を
考えてみようと思います。
私が最初に健康に関心を持ったのは
まだ30歳になったばかりの頃でした!
当時私は長崎日大の明倫館で24時間教育のお手伝いを
私は寮監として、家内は寮母としてやらせてもらっていました。
その当時の寮生は
勉学だけの目的で入寮した生徒と
運動部に所属するため宿舎代わりに入寮した生徒と
ほぼ半々ぐらいの比率で
約120人ぐらいの寮生を24時間体制で
面倒をみるという生活を
7年間続けました。
そんな中、寮の日課にあわせて
同じように指導しているのに
反抗的な寮生と
素直に従う寮生が
出てくるようになって
私にはとても不思議に思えたものです。
そこで、日常的に食べているものに
何か原因がないだろうかという「仮説」を立てて
観察を始めたのです。
同じように運動している寮生でも
冷静で素直に従う子は
夜食で食べるものが「果物」だったり、
「生野菜」だったり「イリコ」だったりと
寮の食事で不足しがちなものを
食していました。
それに対して、イライラカッカ組みは
自室でラーメン、スナック菓子、清涼飲料水などを
欲望に任せて摂取していたのです。
この両極端がどうやら言動に
影響しているのではないかと思っていました。
そこで、参考文献を捜していたら
菅原明子という人の書いた
『非行は食べ物が原因だった』という本に
出逢うことができたのです。
その本を読むと
砂糖の弊害、カルシューム不足、ミネラル不足なとが言動に反映され、
ひどい場合には破壊行為に及ぶこともあるということを
知ったというわけです。
それ以来、わが家の子供たちにも
身体にいいものは勿論、心にいい影響を与える食べ物を
研究し与え続けていくようになったのです。
あらゆる場面で「食べ物」の重要性を認識し、
所謂「食育」に目覚めていきました。
そんなことが遠因となって
現在に至るまで様々なことに
チャレンジしてきたというわけです。
さて、100歳と言えば
皆様はどなたを思い浮かべられるでしょうか?
私は、日野原重明先生、昂地三郎さん、
お亡くなりになった三浦敬三さん、下川原孝さんなど
元気でバリバリ現役を続けている(いた)方たちです。
そんな人たちに共通するのは
何で、どんな要素でしょうか?
私は、ズバリ「使命観」ではないかと思っています。
人には、それぞれその場にいるため、
あるいは生かされているための使命が必要です。
「必要必然」と言い換えても
いいかもしれません。
私の友人の中には世の中に向かって
不遜なことばを吐いたため
50歳前半で急逝したり、
不治の病に侵されて60歳も迎えられずに
死んだ人もいます。
どんなに優秀であっても
世の中の役に立たない人は短命で終わったのを
先の2例だけでなく、今までに幾度となく見てきました。
そのように考えると
規則的な生活、毎日のトレーニング、正しい食生活、
知的活性化、内臓器官の正常さ、健康的な視力・聴力・噛む力などなど
挙げたら切りがないほど出てきます。
しかし、矢張り最も大事なのは
生き延びていくために必要不可欠な、
この世に存在するのに必要な「使命観」
としか思えません。
では、私の「使命」は何でしょう?
オギャーと生まれて以来
一貫して私が追い求めてきたものは
「他人と違う自分をこの世に活かしたい」という強烈な願望でした。
小さい頃から人一倍「好奇心」が強く、
今も衰えていません。
だから、私の使命はその旺盛な好奇心を活かして
世界の最先端を走っている日本の超高齢化社会の実験台として
世界のこれからを担おうという方たちのお役に立てるようにすることが
私の使命だと強く思っています。
そのように考えると今取り組んでいることは
必要必然だと思えてくるのです。
今年から中学生の数学を皮切りに
「数学ビルディング法」による劇的学習法の開発に
着手しました。
この経験は、「英語」や「国語」に活かせます。
また、ライフワークとして取り組んでいる
海外旅行とノマドライフの構築も
生きるでしょう。
勿論、その屋台骨を支えるのが
体力であることは論をまちませんので、
「ウルトラウォークラリー」、「ホノルルマラソン」、
来年から始まる「ダナン国際マラソン」などの取り組みからも
多くの示唆を得るでしょう。
そのほかにも「糖質制限」の人体実験とか、
「フェイスブック」を利用した
様々なグループの組織化などからも
多くの知恵を頂くことになるでしょう!
こう考えてくると毎日が楽しくて仕方がありません。
わくわくどきどきしながら
毎日を楽しませて頂いていることに
感謝しています!