3月1日の長崎日大の卒業式で
日本大学の総長祝辞と長崎日大理事長告辞で
この「初心忘るべからず」ということばが
2度登場しました。
しかし、一般的には
誤用されていることが多いように思います。
最初に抱いた「初志」を
忘れてはならないという浅い意味ではありません。
世阿弥は「初心」について
『花鏡』の中で次のように述べています。
「第一に『ぜひに初心忘るべからず』、
「第二に『時々の初心忘るべからず』、
「第三に『老後の初心忘るべからず』と
3つの初心について語っています。
「ぜひ初心忘るべからず」…
若いときに失敗や苦労した結果身に付けた芸は
常に忘れてはならない。それは、後々の成功の糧になる。
若い頃の初心を忘れては、能を上達していく過程を
自然に身に付けることができず、
先々上達することは到底無理というものだ。
だから生涯、初心を忘れてはならない。
「時々の初心忘るべからず」…
歳とともに、その時々に積み重ねていくものを
「時々の初心」という。
若い頃から最盛期を経て、老年に至るまで
その時々にあった演じ方をすることが大切だ。
その時々の演技をその場限りで
忘れてしまっては、次に演ずる時に
身に付いたものは何も残らない。
過去に演じた一つひとつの風体を全部身に付けておけば
年月を経れば全てに味が出るものだ。
「老後の初心忘るべからず」…
老齢期には老齢期にあつた芸風を身に付けることが
「老後の初心」である。
老後になっても、初めて遭遇し、対応しなければならない試練がある。
歳をとったからといって、「もういい」ということではなく、
その都度、初めて習うことを乗り越えなければならない。
このように「初心忘るべからず」とは、
それまで経験したことがないことに対して
自分の未熟さを受け入れながら
その新しい事態に挑戦していく心構え、
その姿を言っているのです。
その姿を忘れなければ
中年になっても、老年になっても
新しい試練に向かっていくことができるというのです。
失敗を新たな糧にしなさいということなのです。
現代人の私たちは
人生の様々なステージで未体験のことへ
踏み込んでいくことが求められています。
「老いること自体」も未体験なことなのです!
私は自分自身の「老い」に
真正面から向き合い
「前人未到」のギネスに載るような野望を
抱いています。
このブログやアメブロで綴っているのも
私の生きた証を後世に伝えるための1つの手段なのです。